賑やかなカレー沢家

現に今年は、親父殿が何もない所でこけたり、ババア殿がソーメンを食った後にソーメンを所望したり、トイレに行ったかと思えばトイレに行ったりするので、逆に思春期の子どもばかりが集まった会より盛り上がってしまった。

90近くなったババア殿は、相変わらず横になっていることが多いようだが、どこか悪いわけではなく、頭も言葉もまだはっきりしている。 それよりも、親父殿の老化の方が目を見張るものがあった。
ボケているのとはまた趣が違うのだが、何を言っているかがわからねえので、大丈夫かと聞いたら「小脳が縮んでいる」とわかりやすく教えてくれた。

しかし、ババア殿と親父殿の老いには決定的差がある。
ババア殿が数年前から体調を崩し、ベッド生活になった時は、相当ショックだった。正直泣いた。
それは今まで見てきたババア殿がしっかりした、良く働く人だったからである。

片や親父殿は老いたなと思うし感傷もあるのだが「ショック」がないのだ。
何故なら親父殿は割と昔から、フリースタイルダンジョンであり、路上で寝たり、部屋をトイレと間違えたりする人だったので、今の姿を見ても「動きは悪いが平常運転」に見えてしまうのである。

「老い」というのは若い頃どうだったかで周りに与えるショックがまるで違うのだ。
私たち夫婦で言えば、夫がボケて、一日中空(くう)を見つめていたり、部屋でウンコするようになったら私は泣き崩れてしまうだろう。

しかし私がボケても夫はそんなにショックを受けない気がするのだ。
今でも、気が付いたら虚空を見つめたまま微動だにしてないし、まだ部屋でウンコはしてないが、部屋の床は腐らせた、便所の使い方もしてる最中で敵襲を受けたとしか思えないほど汚い。
そういう人間が部屋でクソをしても「マイナーチェンジ」ぐらいの感想しかないだろう。

つまり若と老のギャップが小さい人間ほど周りに与える悲しみが少ないのだ。

親父殿があんまり私を悲しませなかったのと同じように、私は夫を悲しませたくない。よってこれからもチョイチョイ床を腐らせたり、頃合いを見て部屋でオシッコをしたり、夫を慣れさせていきたいと思う。

ところで、ババア殿は今デイサービスに通っているらしいのだが、そのデイサービスに私の著書を持って行ったそうだ。

「どれを?」とは聞かなかった。どれでもダメだからだ。
私が鳥山明か村上春樹だったら施設に一目置かれてサービス内容が良くなったかもしれないが、逆にそれで虐待されるようになってないか心配である。

しかしババア殿にとって、私は「何としてでも隠しておきたい存在」ではなく「うちの孫こんなことしてますねん」と他人に言いたくなるぐらいの孫であるとわかったのは嬉しい。

次回は<一緒に寝るべきとは限らない「夫婦の寝室」>です。
今回のテーマは「夫婦の寝室」です。寝室を分けるとセックスレスが加速するかと思われますが、それでもカレー沢さんは寝室を分けろと主張します。パートナーと同じ布団で寝るよりもっと大事なこととは…?

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