毒親の毒をデトックス

43歳といえば、私が17歳の時の母の年齢である。JJになったことで、同世代の一人の女性として、母を理解できるようになった。

「VERY妻になりたかった母の死」に書いたが、母は拒食症で入院した後、自宅で遺体となって発見された。

10代の頃の母は学校一の美人だったそうだ。残念ながら、その遺伝子は弟(アホアホ丸)に全部持っていかれた。
男にチヤホヤされてモテまくり、24歳の時に金持ちのお坊ちゃんと結婚した母は「人生勝ったも同然」と思ったのだろう。夫の心が離れて離婚される日がくるなんて、夢にも思わなかったのだろう。

「それぐらいのリスクは想定しろや」と言いたいが、母にそんな能力はなかった。
高校時代、母がコンビニから不機嫌な顔で帰ってきて「コピー機の使い方がわからなかった」と言った。それを聞いて「この人は、本当に1人じゃ生きていけないんだな」と思った。

ろくに社会で働いたことがないまま専業主婦になり、夫から離婚されて、43歳の母はどう生きていいかわからなかったのだろう。不安でどうしようもなくて、アルコールに溺れて、リスカやオーバードーズを繰り返すようになった。

また「若くて美しい女」というアイデンティティを失った母は、それを取り戻すために、無茶なダイエットにハマったのだと思う。

拒食症で入院中、しわしわのミイラみたいな母が主治医に「結婚したいの、お医者さんを紹介して」と言うのを聞いてドン引きしたが、彼女はそれしか生きるすべを知らなかったのだ。

死後に母の部屋を訪ねると、壁一面にギャル服がかかっていて、手帳には「目指せ35キロ♡」の文字があった。「痩せたら綺麗になってモテる」と、59歳になっても信じていたのだろう。

17歳の時、母は私の目の前で毎晩、無言電話をかけていた。「だって○○さんが私の悪口言うんだもん」とか言いながら。「それでイタ電するって子どもかよ!」と嫌悪感で吐きそうだったが、母は中身が子どもだったのだ。

未熟で幼稚な母に振り回されて、私は子どもでいられなかった。自分より子どもな親には反抗もできなくて、「早く大人になって家を出なければ、じゃないと死んでしまう」と思っていた。

あの頃の母と同世代になって、心から理解できる。あれだけ精神的に幼い人に、母親らしい愛情を期待しても無理だったと。母は私を嫌いだから愛さなかったわけじゃなく、それは母自身の問題だったのだと。

だから許すよ、お母さんもつらかったんだね…なんて目クソ鼻クソほども思わない。そんな毒親ポルノはクソくらえだ。

親だって人間だし、完璧じゃないことなんて知っている。酒や自傷に溺れる母は必死で助けを求めていたのだろう。
だけど、親は子どもに救いを求めるべきじゃない。子どもは親に守られるべき存在で、その逆を要求するなんて間違っている。

ただ、母のことを「可哀想な人だな」とは思う。ちょっとバカだけど美人で、家族思いの優しい夫と結婚して、幸せになる道もあっただろう。
母は男選びを間違った。家庭に無関心な冷たい夫に捨てられて、母も父の被害者だったと言える。

そんなふうに一人の人間として親を見てみたら、なんとなく納得がいってスッキリした。43歳の私は「毒親の毒をデトックスできた」と感じている。水素発生器とか買うよりも安上りなので、よかったら試してほしい。