結婚の常識

「『TOFUFU』は夫婦像の新しい形を模索していくメディアです」とあるように、夫婦の形はそれぞれで、自分達の好きな形に作っていけばいい。

…と今では思うが、独身時代は世間が言う「結婚の常識」に縛られていた。

たとえば「結婚したら今までのような自由はなくなる」と思っていた。

だが「夫婦ゲンカと酸素欠乏症とパンティ事件」でも書いたように、我々は自由を奪うのも奪われるのも嫌いで、一切束縛しあわない夫婦だ。よって独身時代と変わらず、お互い自由にやりたいことをやっている。

また「家事も分担、家計も分担、かつ子ナシ」だと、自由に使える金と時間は減るどころか、むしろ増えることにも結婚してから気づいた。

それ以外だと「結婚したら親せきづきあいが面倒くさい」と思っていたが、予想外に親せきづきあいはほぼ皆無だった。

まず夫婦共にぼちぼち都会の神戸出身で、帰省する田舎もない。盆正月に親せきが集まったりもしないし、法事やら儀式的なものに対するテンションも低い。

なにより、私は母が死亡、父とは絶縁。夫の母は存命だが父とは絶縁。双方の祖父母は全員死亡済み。

というように死んでるか縁を切ってるかなので、そもそものメンバーが少ないのだ。

これで子どもがいれば子ども同士の交流などもあるだろうが、当方子ナシのためそういうのもないし、私は親せきの子どもにお年玉をあげたことがない。

なおかつ夫は一人っ子、私には弟がいるが「結婚に興味はない、植物のように静かに暮らしたい」と吉良吉影のようなことを言ってるので、このままいくと双方の家系は絶滅するが、それもサッパリしていい気がする。

最近、弟が「犬を飼いたい」と言い出したので、そうなったら犬にお年玉をあげようと思う。