結婚も離婚も「自分たちらしく」

 先日、樹木希林が亡くなったときの報道を思い出し、彼らとの扱いの差に胸が傷んだ。
もちろん、残酷な話、芸能界のヒエラルキーにおいて樹木希林と内田裕也、カイヤと川崎麻世では格差があるのは歴然。扱いもギャラもまったく違うだろう。

 でも、そういうのを取っ払って見たら、夫婦の形としてそんなに差があるとは思えない。

 大恋愛の末に結婚して、子供をもうけ、その情熱をキープできずに離れて暮らし、別の相手と恋愛しちゃうときもある、籍は抜かずに。
ビジネスとしては、その不思議な夫婦関係についてメディアに問われれば答えるし、話題性を自覚して夫婦一緒に仕事をすることだってある。
すごく共通点の多い夫婦だと思う。

 不倫の仕方に優劣なんてないと思うけど、ただ言及しておくと、内田裕也は不倫相手にストーカー事件を起こし警察沙汰にまでなっているけど、少なくとも麻世は犯罪は犯していない。

 それなのに、樹木希林と内田裕也の関係はロックでカッコいいと尊敬され、川崎麻世とカイヤになるとバカじゃないの?というムードで報道されることに私は苛立ちを覚えている。(ていうかこういう文脈で使われる「ロック」って言葉、めちゃくちゃダサいね!)

 夫婦関係にカッコいいもクソもあるか。そんなの他人が決めることじゃない。どうしてもジャッジしたいというのなら、せめて平等に批判しろ。

 内田裕也と樹木希林が結婚したとき、「自分たちらしく」ということで二人とも上下デニムのセットアップ姿で挙式したのは有名な話。私は改めてその写真を見て、例の不倫会見のときの麻世とカイヤのお揃いGパンスタイルにそっくりだと思った。
どっちもお似合いでカッコいいし、お互いに最善の道を模索してもがいてる。
いいじゃん。みんなだってそうでしょ? 最後まで離婚しないことが偉い、なんて風潮もくそくらえ。別れるときだって「自分たちらしく」できたら最高だよね。

 でも実際は結婚するときより、そうあるのはずーっと難しいよ。誰も言わないから私が言うね。麻世とカイヤも、最高にロックだよ!(ダサ死)

Text/ティナ助

次回は<買えない値段じゃない?ダラ嫁、終の住処のその次「墓」を考える>です。
いつか自分が入ることになるお墓。先祖代々のお墓に入らない場合は、自分たちで買うしかない。終の住処は用意しおえたティナ助さんが、次に考えたのはその先の住処であるお墓。でもお墓って、いくらくらいするの?