僕より先に死んでくれた

 自分で言うのもアレだけど私の母校はカトリックのゴリゴリのお嬢様学校。箱入り娘の集まりで、校則は厳しく、家庭でも学校でも窮屈な思いをして6歳から18歳まで過ごすことがさだめられていました。
中学生になった私たちは、たぶん、焦っていたんだと思う。このまま古臭い価値観に縛られ、何一つ派手な思い出作りもできず、狭い視野のまま世の中に放り出されるであろう自分たちが、将来どんな人生を掴み取ることができるのか。想像するだけで怖かった。

 そんな私たちは、一人では電車に乗ることもできなかったという伝説のお嬢、朝丘雪路が津川雅彦と結婚していることに、一筋の希望を見出していたのかも。
まぁ自分たちをお嬢様界の頂点に君臨する人と重ね合わせるなんておこがましいにもほどがあるんだけど。家事はもちろん、まともな金勘定すらできない(津川雅彦と結婚するまで一万円札以外のお金を知らなかったというのは本当だろうか???)、そんな嫁に愛想を尽かすどころか溺愛している様子はカッコ良かった。
朝丘雪路も、結婚後も変わらずプレイボーイぶりを発揮する津川雅彦に振り回されることなく、マイペースを貫いているのもカッコ良かった。私たちには、お二人が理想の夫婦に見えました。

 しかし私が社会に出て現実の厳しさに打ちのめされ、運よく好きな相手と結婚して子供を持った頃には、世の中の景気もムードも一変していました。その頃にはもう、子供の夢のようなグランパパのお店は次々にクローズしており、その負債や映画制作で抱えた借金を返すため朝丘雪路が私財を手放したことなど、ドキュメンタリーで見かけるようになり、「ああ、永遠に変わらないものなどないのだな…」と勝手に切ない気分になったりして、だんだんと津川雅彦に夢中だったことを忘れていきました。

 そして今年の5月、津川雅彦の姿を久しぶりにTVで見てハッとしました。
朝丘雪路の死去を報告するために記者たちに囲まれた会見で、ご自身も酸素吸入のチューブをつけて私の想像の中の津川雅彦よりずっと老け込んでいましたが、「僕より先に死んでくれた」と感謝の言葉を発していたのです。

 つねづね旦那さんには一秒でもいいから私より後に死んで欲しい、後に残されるなんて嫌!と思っている私は、一瞬、えっ、どういう意味? と驚いたのですが、すぐに、ああ、このお二人の関係は、最後の最後まで変わらなかったのだな、と理解しました。

 お二人がお互いにどういう恋愛感情を抱いていたのかはわからないけど、一人にはできない相手を、最後まで一人にしなかったんだな、と。
そうできて良かった、安心した、とは言わずに、そうさせてくれてありがとう、という言葉が出てくるなんて、この人は相変わらずカッコいいな。最高だな。
昨日、彼女を看取ってから99日後にあとを追うように息を引き取った、という報道を目にして、たぶん今まで経験した芸能人の方の訃報で一番心の底から「寂しい」と感じ、ああ、自分も最後、こんな風に人生にさよならできたら、と思いました。

 アラフォー最後の夏、私は中学時代の「理想の男性」にお別れを言い、アラフィフへの階段を登る決意をしたのでした。

Text/ティナ助

次回は<愛を体に刻む ――タトゥーは有りか無しか――>です。
タレントのりゅうちぇるが妻と子供の名前をタトゥーに刻んだことが話題に。批判されることが多い刺青文化ですが、実際にファッションタトゥーを身に着けるtinaさんの立場からは、昨今の風潮はどのように見えるのでしょうか?