「つたない」=「ピュア」=「かわいい」という男の思い込み

『しゃべくり007』といえば、くりぃむしちゅー、ネプチューン、チュートリアルという当代きっての実力派中堅芸人たちが、ゲストとのトークを巧みに盛り上げるバラエティ番組です。

 その回、いつものように質問に対してマイペースの長考に突入する能年玲奈に、くりぃむ上田は「将棋の竜王戦やってるわけじゃないから!」とさすがのツッコミを入れて笑いに変えていました。
一方で彼女も、チュートリアル徳井のイメージを聞かれて「女の子らしくてカワイイ」と答えるなど、その独自の感性を存分に発揮します。

 問題は、彼女が「絵を描くのが好き」という話題になったときでした。
「何の絵を描いてるの?」「お花かな?」「鳥さん?」「カエルさんかな?」
芸人たちが、まるで年端もいかない幼児をあやし、たしなめるような口調で、20歳の成人女性に語りかけたのです。
もちろんこれは、彼女のつたないトークをテレビ的にギャグとして成立させるために、百戦錬磨の彼らがあくまでたまたま選んだリアクションの引き出しのひとつでしょう。

 しかし、彼らのリアクションは、“天然系ほっこり女子”を「かわいいね」と愛でる男たちの中に、ある無意識が存在することをはからずも代弁してしまいました。
すなわち、彼女の「つたなさ」や「あどけなさ」をある種の「頭の足りなさ」ととらえ、それを「ピュア」=「かわいい」と脳内変換している男たちの存在です。
そして、これこそが能年玲奈を愛でる男目線に対する“もやっとした違和感”の正体ではないでしょうか。

 その昔、「不思議ちゃん」といえば、さとう珠緒や小倉優子のような、作り込まれた「ぶりっこ」とニアイコールでした。
彼女たちは異性からも同性からも反感と嘲笑を買っていましたが、当時はまだそれをキャラとして消費する余裕があったように思います。

 ところが、やがておおよその女性がゆうこりんほどではないにしろ、「あざとさ」や「したたかさ」を発揮して、男ウケする「かわいさ」を擬態していることがわかると、そのことに必要以上に警戒心と猜疑心、恐怖心を抱く男たちが出てきます。
彼らは、これまで自分たちが信じてきた「女らしさ」が演出だったと知って、「ぴえ〜〜〜ん、僕たちは騙されていたんだ〜〜〜〜!!!」とショックを受け、その結果、自分の「男らしさ」の根拠や自信までグラグラになって、無駄に卑屈になったり虚勢を張ったり、ミソジニーに陥ったりしてしまいました。

 こうした面倒くさい男性のことを、私は「くすぶり男子」と呼ぶことにしています。