「物語や映画のほうがきっと人生を狂わせてしまう致命傷になる」

溺れるナイフ 山戸結希 小松菜々 菅田将暉 重岡大毅 ジャニーズWEST 上白石萌音 志磨遼平 ドレスコーズ
山戸結希監督

――初めての"原作モノ"を手がけたことで最も意識した点、また、原作者であるジョージ朝倉さんが描かれている世界観で特に大切にした部分はどこでしょうか?

 ジョージ先生は、過去の少女マンガを流用して描いている感じが全くしない方なんです。もちろん教養としてはしっかりお持ちだと思うのですが、それを超えた自分だけの眼差しでキャッチした風景を描き出しているところが、本当に波紋みたいにしっかり伝わってきます。だから、私も過去の記録の積み重ねよりも、今生々しく生まれている記憶の爆発を、新しい聖典を作るつもりで、じゃないですけど、自分の目で見たものを映画にしようと思っていました。

「女の子向けの映画はこういうものだから」ではなくて、今目の前に生きる二人が、どう動いたら一番新しくて、人の心が動くだろうか。そういう問いとジョージ先生はずっと戦ってこられたのだと、たった一人の世界で、彼女自身を神様として。それが、撮りながら思うことでした。

――この作品の登場から、「少女映画の黎明期」に突入すると思いました。以前から掲示する“少女映画”という役割と、それが今の時代に在る意味はなんだと思いますか? また、その旗手としての自覚について聞かせてください。

 自覚というと、この一年間女の子たちのそわそわワクワクする声をネットで読んで、“少女映画”が初めて全国の地方の少女に届くんだってすごく実感させてもらいました。結局、教育とか政治的施策よりも、物語や映画のほうが、人生に濃く関わって、きっと人生を狂わせてしまう致命傷になるんですよね。この教育効果や洗脳作用って、ティーン映画に関わるみんなは気付いているのかなぁって。
今、女の子たちが自分のお金で自分の身体を使って足を運んでいるなんて物凄いことで、有り難いことで、ここから起こせる大きいインパクトが確実にあるんですよね。それはもう、未来ごと生まれ変わってしまうような。

 撮り終わって、映画が発表されて、これが女の子たちに伝わっちゃうことで、ひとりひとりの未来をどうしようもなく変えられるんだって、宣伝活動の反響の渦の中で、その希望が強く湧き上がるみたいにあって…。そこに関与できることは絶対まだまだあるんだなって信じています。

 だから、今リアルタイムで少女期の地獄を生きている女の子たちが、「これは生まれて初めて、自分に向けられた映画なんだ」ってやっと初めて思えるような、映画館で気が狂わされちゃうようなものを差し出すことは絶対にやりたいなって思っていて。それと同時に、少女期のあの地獄って、思春期が終わったら女性から切り離される問題というわけではなくて、身体がある限り永遠に追いかけてくる地獄なんですよね。主人公が思春期の女の子なのか、20代か30代かアラフォーなのかによっても違ってくると思うんですけど、結局表面的な年齢が何歳であっても、地獄巡りみたいに同じ問いをずっと回っている。

 そう思うと自分自身の年代も、自分が経ていく年齢の映画も、"少女”を拡張するような気持ちで、今後も“少女映画”として撮っていくのではないかという気がしています。

――それでは、今後も“少女映画”というジャンルを確立していくのでしょうか?

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山戸結希監督

 ジャンルの名前は、その都度その都度、たけうちんぐさん(インタビュアー)にキャッチーに呼んでいただけたら嬉しいです(笑)。何でも良い、“妙齢女性映画”でも、“子育て映画”でも、“女性自立映画”でも。ライオットガールのジャパンウェーブでも。呼び名がどうあっても、「女の人が生きてゆくための映画を拡張していくんだろうなぁ」って思っていますね。“少女映画”だって、言葉ですもんね。容易に言葉にするには困難な普遍の生き地獄が、きっとすべての女性に共通してあって。それは、きっと男の人と添い遂げても、子どもを産んでお母さんになっても、消滅せずに並行世界としてずっとある地獄なんじゃないのかなって予感として響きながら。

――監督が生み出す作品で、女の子たちを地獄巡りから救いたいですか? それとも、それを共有したいですか?

 女の子といっぱい映画を作っても、女性のアイドルさんや女優さんを近い距離で撮っても、女性同士特有の繋がれなさがあるというか、本来的にホモソーシャルな生き物ではないから、その連帯できなさとか、結局は散り散りになることが決められている刹那的な感覚にさせられて。やっぱり分かりやすく恋愛として成就されることがない、関係の発展する先に出口がないから、男の人に対するような癒着的な関係を望めないんですけど、でもだからこそ、出会えたその一瞬の時間の中で、一緒に文化を作れる喜びがあるんだなあと、鮮烈に思いますね。

 恋愛っていう逃げ口がないからこそ、女の人と女の人が繋がるというのはほんとにカルチャーの切迫面でしかないんです。やっぱり思春期の地獄って一番仲が良い子とも、もしかしたら共有なんてできなくて、それでも週末に同じ映画を、暗闇を見上げることができたら、個人戦ではあるけれど、確かに今同じ地獄でたしかに闘っているなって感じられたら、変わっていける気がするんです。一緒に天国に手を伸ばす気持ちだけでも、共鳴できたら、お互いの美しさを認め合うことができるのかもしれません。そうありたいですね。自分の映画で起こしたいです。諦めながらも、認め合いたいと思っている心を。