「政治の話をしない方がいい」という雰囲気

彼の年齢について相談文に書かれていないので断定はできませんが、おそらくあなたと大きく変わらないと想像します。
わたしは現在29歳なので、まあ同世代でしょう。

なんとなくですけど、少し前までは「外では政治の話をしない方がいい」「公の場で政治について言及するのはちょっと……」という風潮があったように思います。
もちろん、あなたのように昔からきちんと向き合ってきた人もいるんですけどね。
わたしも、親からは「外で政治の話はするもんじゃない」と言われて育ったため、それを「そういうものなのかな?」と鵜呑みにして、政治についての議論を控えていたタチなんです。

まあ、よくないんですよね、最近になってそれがかなり身に染みています。
でも、ここ最近の社会情勢を見る限り、わたしたちは変わらなくちゃいけない、それ以上に変えていかなくちゃいけない、という流れに傾きつつあると思います。
現に、みんなが声をあげることで変わっていった部分はたくさんありますし、それらを実際に目の当たりにすることで「自分も声をあげていいんだ」「ちゃんと向き合っていかなくちゃいけないな」と考え方が変わってきている人も少なくないのではないでしょうか。

わたし自身、SNSで「今まで国民が政治に無関心だったツケが今になってまわってきている」という文章を見たとき、「ウッ…すみません…否定はできません…」という居心地の悪さを感じるとともに、「ちゃんと、しなくちゃな」という気持ちが強くなってきています。
ただ、そういう風に少しずつみんなの政治への心持ちや社会問題に対する向き合い方が強く動いてきたのはここ最近のことです。
そのため、批判と否定は違うのに同じ意味で捉えてしまっているせいで身構えてしまったり、恋人や仲の良い友達と政治的思想や主張が異なったときのことを考えて不安になったりなど、どうしてもまだ慣れていなくて戸惑っている人たちはたくさんいるのだと思います。
あなたの彼もそれと同じとは言い切れませんが、少なからずそういった背景で過ごしてきたことも影響しているのではないかな、と思いました。

社会問題を自分ごととして捉えられるか

人によって、どこまでを自分ごととして捉えるか、そしてそれに立ち向かうか、というのは違うんです。
相談文を読む限り、あなたと彼はそこに大きな差があるのだと感じました。
もしも、自分自身がパワハラやセクハラの被害を受けたときは、誰しもが自分ごととして苦しみ、悩むでしょう。
さらに、自分の愛する家族や、恋人、友人などが同じ目に遭ったときも、憤りを感じる人が多いはず。
では、同世代だとか、同じ性別だとか、そういった大きなカテゴリが共通している人が被害に遭ったときは、どうでしょう。
果たして、自分ごととして捉えられる人はどれほどいるのでしょうか。

わかりやすいように具体例を挙げますが、以前ある医大の入試で女子学生の点数だけが不当にマイナスされた事実が発覚しましたね。
ほんとうに、ほんとうに最悪なニュースです。
その被害に遭われたご本人やそのご家族、ご友人などは非常に憤りを感じ、絶対に許せないはずです。
このニュースに対して、当事者やその周りの人ではないけれど、たとえば自分の姉や妹が医学部を目指していて、数年後にその医大を受験しようと考えていたため、もしかしたら身内が当事者になっていた“かもしれない”から自分ごととして捉えている人もいるでしょうし、社会問題というのは様々な事柄が繋がっていて、過去の歴史などから“同じ女性”として怒りを覚え、声を上げている人もたくさんいます。
でも、男性で、医療に携わっていない職種で、周囲にもそういう人がいない環境で過ごしている場合、もちろん中にはきちんと怒って声を上げている人もいますが、「違う世界で起こったこと」「自分には関係のないこと」と捉えてしまう人もいると思います。

願わくば、みんなが様々なことを自分ごととして捉え、「こういうのはよくない」と気づき、「じゃあどうしていったらいいか」と考え、その都度声を上げてどんどんよくなっていく世の中であってほしいのですが、だからといってこれまで興味関心がなかった人に対して、いきなり「社会問題にも興味を示して」「政治についてガンガン語り合おう」と求めるのは、少し厳しいと思います。
まずは世の中で起きている問題を認識し、徐々に「ここで怒ることって大事なんだ」「こうやって声をあげていいんだ」「みんなが声をあげたから変わっていったんだ」と気付くことではじめて意識が変わっていく。そういったプロセスに至るには少々時間を要すのだろうと思います。