モテたくて野生化

そもそも「隙」ってのはなんなのだろう。正直私はこの「隙」っていう感覚が昔から好きじゃなくて、まぁだからモテなかったんだと思うんだけど、でもどうしても嫌でできなかった。これはわたしの想像力の無さが原因なだけかもしれないけど、どうしても「隙」と聞くと「ナメられる」って感じがしちゃうのだ。でも、彼女達はもしかしたら「ナメられてるのではなくナメさせてやってる」という強い気持ちがあるのかもしれなくて、だとしたら精神年齢がすげえなと思うんですが、私が出会ってきた彼女達はそうではない気がした。

彼女達は飲み会でとても酔っ払う。トロンとした目で重心を左右どちらかに偏らせる。あと大体うっすら着崩れている。同性の私から見ても「あ〜なんかエロいことできそうだな」と感じるほどに彼女達はお揃いの方法で乱れる。
彼女たちの最も厄介な点は、「成功体験が豊富にある」ということ。「お酒飲んでちょっとトロンとすれば異性は大体落ちる」っていう経験があるのだ。だから、並大抵のことではこの手段を捨てない。でも、それって本当に異性落ちてる?
下品な表現でごめんなさいですが、「ヤレそう」と「モテる」は違う。前者はたまたま網棚にあったジャンプを読むことで、後者は首を長くして一週間ジャンプの発売を待つことだ。私は、出来たら1週間待たれるジャンプがいいなあと思う。例え手にとってくれるのは1人だけだったとしても、沢山の人に読まれながらも読んでは網棚に戻されるジャンプは嫌だ。

以前のコラムでも似たようなことを書いたけど、飲み会で1人でも多くの人に「ヤレそう」と思わせて、承認欲求を満たす女の子もいるのだ。甚だお節介だと思いながら、私はなんとなくそれが悲しいなあと思ってしまう。肉体を使わなくても、人の気を惹くことはできるはずだ。
だから、なんとなくすぐにホテルに行っちゃう女の子にはちょっとだけ待って欲しい。それは、伝線したストッキングを履き続けるとなんとなく自分が情けなくなることと似ているのかもれしれないのだ。

わたしを魅力的にするのは他者だけじゃない。自分自身で自分を魅力的にする時間を大切にして欲しい。何も起きなかった飲み会の後に一人でネットフリックス見る時間とか、ちょっと泣いちゃう時間とか、そういうなんでもない時間がわたしを育ててくれるんじゃないかって思うから、他人の欲望でばかりで自分を安心させるよりも、楽しいこともある。そんな野生みたいなモテ方ばかりが全てではない。ちゃんと服着てよ。人だろ?

それが趣味なら

それでもいいからヤリたいのは全然オッケーで、もはやそれが普通に趣味になってる人は素敵だなと思う。でも、隙なんて差し出さなくても愛し愛されることは可能だ。私達には柔らかくてシワシワな立派な脳味噌があって、それももちろん肉体なのだ。どうせ身体を使うなら、脳味噌を使ってモテることも視野にいれてほしいなと私は思うのです。悲しみに任せて、エロ直結徒歩1分型の隙を披露する女の子が満たされる日が来ますように。

TEXT/長井短