悲しいのに笑っちゃう

歳を重ねるにつれて、自分もみんなも大人になって、露骨に攻撃的なことを言う人は減った。しかも今の私には「意見はケツの穴と同じ。誰にでもある」という魔法の言葉もついてるのだ。この言葉が鳴り響いている時点でかなり無敵に近いんだけど、それでもやっぱり、ダメージを食らうことはあるのだ。「え、そこそこ会ったことあるのにそんな感じでくるぅ〜?」っていう人って、全然いる。

あの人達は、私を「巨人じゃん〜」と笑う。そんなことにも慣れて、私はその場を取り繕うために笑う。全然面白くないのに。そんなの全然面白くない。わたしはいやだ。
ちょっと変わった服装をしていると「宇宙人かよ〜」と笑う。私はまた無理して笑う。何も面白くないのに。糞食らえと思いながら笑う。
人にどう思われるかなんて気にせずに、自分の着たいものを着て、好きなように振る舞いたいと思いながら、好きでもない人のために無理して笑うなんて、無駄だ。わかっていてもやってしまう。この場を白けさせてはいけないという強迫観念が働く。それと、やっぱりこれ以上傷つきたくないから。身を守るために取り繕ってしまうのだ。

不健康すぎる。こんなことはもうやめたい。嫌だ。あの人たちのことが嫌いだ。どうして、そんなに簡単に人の事を馬鹿にできるんだろう。嫌い嫌い嫌い!!!

私はいつでも私の味方

私が嫌いなのはなんだろう。「巨人」と言ってくるあの人たちだろうか。それとも、嫌なことを言われているのに笑って流す自分自身だろうか。答えは多分両方で、でも、後者の方が嫌いの度合いは高い。

その場がどんな場所であれ、私は、私が傷つくことを笑ってはいけないはずだ。私は、何よりも私が私自身を馬鹿にしていることにショックを感じているんじゃない?だって、私が私を大切にしないで、一体誰が大切にしてくれるっていうんだろう。本来一番の味方であるはずの自分自身が、自分以外の側に寝返った瞬間を感じるのは、やっぱりきつい。
しかも、その同調圧力に乗っかることは、結果的に自分以外の誰かを傷つけることにも繋がるはずだ。「なんか場が盛り上がれば犠牲があってもオッケー」って空気に流されて自分を蔑ろにしているんだから、「さっき私がそのポジションやったんだから次はお前が傷ついて盛り上げる番だよ〜」って思考が働いてしまってもおかしくない。実際、この魔のバトンパスのせいで意味不明な空気になっている場を見たことあるし。

私は絶対私の味方でいたい。私だけは絶対。誰かがそうすれば、周りの人だって「あっちの方が良さそう」と思うかもしれないし、そしたら生贄の連鎖は終わるはずだ。「巨人かよ」と笑われたら、「背が高いんだ」とはにかみたいし、「宇宙人かよ」と言われたら「スターウォーズが好きなんだ」と笑いたい。ちゃんと自分を大切にしたい。「ノリが悪い」とか「堅物」みたいに思われることもあるかもしれないけど、それが一体なんだっていうんだ。そんなことより私だろ!私の使命はまず私を大切にすること!愛する人を守るのはそのあとに初めてできること!わかったか!
それに、「ノリが悪い」と思われたとしても、私にはあの魔法の言葉があるのだ。

「意見はケツの穴と同じ。誰にでもある」

誰にでもあるなら仕方ない。甘んじて受け入れるぞその評価。でも、私にも肛門はあるから言うけど、そのノリ正直古くな〜い?

Text/長井短