「既婚者だから」バリア

モテることは愛されること、愛されることは受け入れられること。受け入れられることは、即ち拒絶されないことだ
拒絶されないよう、相手の様子を伺いながら距離を縮めていくのが恋愛だが、それはとても難しいし疲れる。だから自分に好意を寄せてくれる人の手を取れたらいいけれど、常に待ちの姿勢でいられるのは、一部のモテ上位者だけだ。その中に好みの相手がいるとも限らない。やみくもに多数を求めるのではなく、望む相手に愛されたければ、大抵の人は自分から踏み出さねばならないのだ。

とはいえ、一気に距離をつめれば拒絶される確率は高くなり、モタモタしていればチャンスを逃す。かといって、「君はわたしを受け入れてくれる……よね? 絶対絶対傷つけない……よね? じゃあちょっとずつ近づいてあげるから、君から手を出してくれても……いいよ?」なんてか弱きお姫様気分で接していたら、来る者だって引いてしまう。
自分を正しく見積もることは、ある意味、プライドとの戦いだと思う。勝手にモテるならそれで良い。自分からアタックして、相手に受け入れられるなら十分満足できるだろう。でも、玉砕するくらいなら…と何もしないでいる人も多いと思う。自分に見積もったほどの魅力がなかったと思い知らされるのは、かなりしんどいことだから。

結婚してモテ市場から抜けると、モテないことが許容される。誰かの恋愛対象に自分が入っていないことも、魅力や容姿や収入の不足ではなく「既婚者だから」で説明がつく。
独身の頃の「ごめんなさい」は「あなたに魅力を感じません」と同義であり、いちいち傷つくことになるが、既婚者への「ごめんなさい」は「既婚者だから」に都合よく変換できる。つまり、数撃ちゃあたる鉄砲を撃ちまくることが可能になる。それに、配偶者以外の恋愛対象になる必要も本来ないから、「君はわたしを受け入れてくれる……よね?」なんてチラッ、チラッと気に障るような視線を送ってしまう焦りも消える。モテを阻害するキモさが軽減されるのだ。