少し寂しいけれど、楽しい時間だから

 こうして一度顔を合わせると、急に縁が深くなるようで、数日後、喫茶店の前で困った表情の須藤さんに呼び止められました。これまでもすれ違っていたのに、気がついていなかっただけかもしれません。
 なにやら遠方に住んでいる妹さんから荷物が届いているのに、宅配便の不在票をみてもどうしたらいいかわからないというので、もっとどうにもならない困ったことじゃなくてよかったと安堵しながら、再配達の手配をして笑顔で別れました。

 長い間ずっと縁がなかったのに不思議なものだなあと思いながら、祖母にその話をすると、「この間ね、須藤さん、たまちゃんのこと私の娘だって勘違いしてたみたいなの」というので驚いて笑ってしまいました。伯母と私は顔が似ていなくもありませんが、年齢が倍ほど違うのです。

 もしかしたら須藤さんは、印象よりもぼんやりとした人なのかもしれません。でもなんか変な気がするのよと祖母は心配していましたが、ぴんと伸びた背筋や、てきぱきした話し方を思い浮かべると、性格との差があって微笑ましく思えました。それに、明るい須藤さんが、内気で小さな祖母に心配されているのが、なんだか可笑しかったのです。

 私が本当に驚くことになるのは、須藤さんがこの間の不在票の件をまったく覚えていないのがわかった時でした。

「この間は伯母さんと間違えちゃってごめんなさいね」
もう私ってばと笑いながらおしぼりを用意している須藤さんは、しかし、私が再配達の電話をしたことはまったく覚えていないのでした。

 今夜も店には私と祖母しかおらず、私は少し気が重たくなって緊張しました。彼女の変化にいち早く気づいていた祖母は、笑顔で話しながら、カウンターの奥に須藤さんが消えると、唇をきゅっと結んで、動揺を隠そうとしているような、心配そうな表情をしていました。

 祖母は須藤さんに何かを思い出させようとしたり、同じ話をくり返しても指摘したりしません。私も、同時に二本出されたビールを何も言わずに飲んで、帰り際に明らかに安くなっているお会計だけ計算し直してお金を払いました。

 黙って瓶ビールを二本飲んでいるように、私は祖母の血を引いて酒飲みになりました。時々とても酔っ払うことがあって、知らぬ間に同じことを話していたり、喋っている途中で同じことを話しているのに自分で気づいたり、それでも話を切り上げることができなくなったりします。
 須藤さんはいま、ずっとそんな感じなのかもしれません。

 同じく酒飲みだった祖母も、この感覚を知っていると思います。須藤さんが同じことをくり返し話しても、私も祖母も何も言いません。自分が酔っ払っている時に指摘されると、いつもすごくショックを受けるからです。
少し寂しいけれど、私たちの会話は楽しく、もうそれだけでいいような気もしました。