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  • 2017.09.07

いつかの「私」が願っていた夢を、叶えた「私」は願ったことすら忘れている

貴方は、以前自分が「夢見ていたこと」「欲していたこと」を覚えていますか?何故私たちは、夢が叶うと、叶うことを切に願っていたあの頃の気持ちを忘れてしまうのでしょうか。もしかしたら、私たちの気づかぬうちに叶っている夢もあったのかもしれません。今回は姫乃さんが「夢と欲望」について綴ります。

永遠なるものたち005
「夢と欲望」

女性が腰掛けて都会の景色を眺める画像
by picjumbo.com

 眠っている時にしか夢を見たことはないはずなのに、起きている時に「夢が叶ってよかったね」と言われたので、驚いて眠りそうになってしまいました。
私は飲酒とか睡眠とか、朦朧としている状態のほうが安心するので、心許ない時や、驚いた時にも、逃げるように眠たくなってしまうのです。

 友人は、先日私が携わった仕事を、いつかの私が望んでいた仕事だったと言います。

 地下アイドルとして自分を売っている私にとって、仕事は人生のようなものです。こんな個人的な文章ですら、公になってしまう職業なのです。
だから友人が、私の仕事を、「それがあなたの夢だった」と言うのは、私の気持ちにとてもしっくりくるようでした。

 そう言われてみれば、いつかの私はあの仕事を望んでいたかもしれません。
高校生の時から何度も通った映画館のスクリーンに映る自分を思い出します。でも望んでいた時のことは、すっかり忘れていました。どうして、どれだけ、強く、嫉妬にも似た気持ちで、あるいは気軽に、なんとなく、私はそれを望んだのでしょうか。
その仕事は終わった今でも、光栄で楽しかったけれど、いろんな仕事があるうちのひとつだったと思っています。

 ということは、もしかして、ほかにも同じような出来事があったのかしら。
そう思い返してみると、あの人やあの人との出会いも、知らない土地を訪れるのも、歌うことも、文章を書いている今も、多かれ少なかれ、いつかの私が望んでいたことのような気がします。

 でも残念なのは、自転車と同じで、一度乗れるようになったら、もう乗れなくはならないところです。どういうわけか、悔しい思いをしながらも切に、あるいはなんとなく気軽に、自転車に乗れるようになりたいと思っていたはずなのに、そのことは乗れるようになった瞬間、忘れてしまいます。

 私の場合、叶った夢も同じで、叶う前のことは忘れてしまうようなのです。

今の私はひとつひとつを叶えてきた「私」

 ぼうっと歩き続けていると、不意に高揚感が訪れることがあります。

 なんともないと思っていた人とのデートが、冒険的で愉快な体験になることも。

 あんなにつらくても泣けなかったのに、いつもと同じベッドにいる時や、いつも通り食事をしている時に、ふと涙が溢れることもあります。

 欲望は、欲望でなくなった時に、不意に満たされます。
夢は、夢でなくなった時に叶って、叶う以前のことは忘れてしまいます。


 今の私は、かつての私の欲望や夢を、ひとつひとつ叶えてきた「私」なのかもしれません。
これはきっと本当のことのような気がするけど、そう思うと体が浮いたような感覚がします。

 もし本当にそうだとしたら、私は思っているよりもずっと幸福で恵まれていて、そしてずっと望んでいる時には、望みが叶わないものなのでしょうか。
嫉妬にも似た気持ちで、何かを切に欲していた過去の私は、どこに行ってしまったのでしょうか。

 自分とは無縁だと思っていた夢や欲望が突然身近なものに感じられて、私はなんだか眠たくなってしまいました。

Text/姫乃たま

次回は<肉体が健やかな子供は「視力の悪さ」に憧れる…コンタクトレンズの大人っぽさ>です。
地下アイドル兼ライターの姫乃たまさんが大人っぽさの証として憧れていたのは、コンタクトレンズ。私は、ようやく視力が悪くなった今でも怖いのに、あの女の子もあの女の子も、女子トイレの鏡の前で涙を流しながら、大人になったのだろうか。

ライタープロフィール

姫乃たま(ひめの たま)
地下アイドル/ライター
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