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  • 2017.05.26

どうせ幸せになんてなれないから、「幸せになりたい」っていうのやめよう

「幸せになりたい。」が、あなたの口癖になっていませんか?そんなあなたにチェコ好きさんからのアドバイス!「幸せになりたい。」と言っても幸せになれるわけではないのだから、いっそ「幸せになりたい。」と言うのをやめてみませんか?

海を見つめる女性 海岸に座る女性 幸せになりたい
©Iulia Pironea

「幸せになりたい」。今日もそよよと風に吹かれて、どこからともなくそんな声が聞こえてきます。そして、そんな「幸せになりたい」とボヤく女性に対する、定番の返しはこうです。「あなたはどうなったら幸せになれるって自分で思うの?ちゃんと要件定義して!」

 自分は本当は何が欲しいのか、どんな人と一緒にいられたら幸せなのか、あるいはずっと独り身でも別にいいのか。そういうのを見極めるのが大事だということは確かに、話としてはごもっともです。で、どうですかみなさん。要件定義、できました?きっと賢明なみなさんは、こういうのをきちっとやって、悩み迷いながらもおひとりさま道を邁進されているのではないかと思います。ちなみに私はですね、幸せ感度が高すぎるので、最悪すべて失ってホームレスになっても、どこかで拾って本さえ読めればけっこう幸せかなって思ってます。あとは野となれ山となれ。

で、すべてを手に入れたあなたは、本当に「幸せ」になってますか?

 今回は、そんなみなさんにちょっと想像してみて欲しいのです。幸せの要件定義をきちっとやって、たとえば自分がやっぱり結婚したいことに気が付いたとして、結婚相手に求める条件を、妥協しつつ譲れないところだけはしっかり決める。で、挑んだいざ婚活。そして、なんやかんやの末に悪くない男性を見つけて、見事たどりついた結婚式。おめでとう!1年後には子供(長男)も産まれちゃったあなたは今、幸せの絶頂にいます。やったね!いいでしょういいでしょう、にっこり笑ってVサインかましてください。いやーよかったよかった。想像しただけでハッピーな気分になれますね。

 しかしですね、このあなたの幸せが、死ぬまで永遠に続くかというと、残念ながらたぶんそんなことはないのです。「今のあなた」が要件定義して欲しいと思った、そのすべてを手に入れたとしても、バラ色の人生はおそらく1日くらいしか持ちません。次の瞬間には、すぐに新しい不幸の要素と問題が、姿をのぞかせてくることでしょう。旦那さんが実はあんまり育児に協力的じゃないことがわかったとか、駅でベビーカーを押していたらホームにいた男性に舌打ちされたとか、大きい問題から小さいイライラまで、この世界にはあなたを不快にさせる要素がたんまり眠っているのです。たとえすべてを手に入れたとしても、不幸の要素はきっとネタ切れを起こさないでしょう。なんか知らないけど、世の中はそうなっているようです。

『完全な幸福をもたらす普遍的万能薬』

 わかりやすそうな例として結婚と出産をあげましたが、このまま1人で生きるにしろ、仕事でキャリアを積むにしろ、きっと我々が「完全な幸福」を手にすることなんて、この世にいる限りないんです。まあ、ちょっとよく考えればわかることですね。もしそんなものがあったとしたら、それはおそらく違法なドラッグかなんかが作った幻想なので、早めに離れることをおすすめします。
私は日本画家・松井冬子の描いた『完全な幸福をもたらす普遍的万能薬』という脳の中身が丸見えの不気味で狂った絵画が好きなんですが、もしみなさんがつい「幸せになりたい」と思ってしまったら、Googleで検索してこの絵画の画像を見てください。欠けることのない完璧な幸せなんて手にすることは、あの世に行くまで不可能です。

 もし今よりも、恵まれた境遇にいたら。もし今よりも、多くのものを手にしていたら。私もそんな妄想に支配されたことがなくはないですが、こういう妄想はもっと現実レベルまで落とし込んで、細部までしっかり思い浮かべるべきだと最近気が付きました。もし自分が、結婚して子供を産んだら。駅でベビーカーを押しているときに、男性に舌打ちなんかされたら……私は怒りに身を任せた檄文を自分のブログとかに書き殴って、炎上して四方八方から怒られまくっていることでしょう。そんな私は、独身の今と変わらず、けっこう楽しそうであると同時に、良くも悪くも煩悩にまみれています。雑誌に出てくるような笑顔が素敵で幸せそうなお母さんには、私はたぶん5回くらい死なないとなれません。

 結婚して子供を持っても、独り身のまま仕事をがんばっても、どこかで失敗してホームレスになっても、穏やかな幸せをかんじるときもあれば、脳の血管がブチ切れるくらい腹が立つこともあるはずです。そういう意味では何をやったってどうせ幸せになんてなれないし、何もやんなくたってけっこう幸せだともいえます。自分が幸せになるためには何が必要で、何が不必要なのか、そんなことを見極めるのはムダだっていってるんじゃないですよ。それはそれ、これはこれ。ただ、どんなに条件を揃えても、あるいは揃えられなくても、人間なんて結局最後は、気の持ちようなんじゃないでしょうか。

 自分はどうしたら幸せになれるのかなんて、あんまり根詰めて考えるのも疲れませんか。たまには、もうめんどくせえから何でもいーや、と達観して笑い飛ばすのもアリかなあ、なんて私は思うんですよね。


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Text/ チェコ好き
From/SOLO

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