いつしか母性を持つようになったわたしの父の話

先ほどわたしは一人っ子だと記載しましたが、子供を産み育てることの想像がつかない要因はもうひとつあると考えています。わたしの持つ一番古い記憶の頃には既に両親が離婚していて、成人するまで父一人の手で育ったということです。
小さい子供どころか、私個人に向けられる母性というものも目の当たりにしたことがありませんでしたし、少なくとも、父が昔わたしに対して随分と厳しくしていた時期にはそのように感じていました。
ところが、わたしが上京をする頃からすこし接し方がやわらかくなったのです。そのことについて後々父に話をふったことがあり、父は「おまえが小さい頃は父親としておまえを育てていたけど、今はもう母性で接する段階に入ったんだよ。だから優しくなったのかもね」とすらすらと答えました。

質問者様は「自分には母性がないのか」と悩んでいるとのことでしたが、何も母親ばかりが母性を持たなくてもいいのだと思います。父親にも母性と呼べる感情が、いわば本能が備わっているものだとわたしはこの一件を持って実感していますし、周囲の皆で愛せばいい、それが子育てなのではないかと思います。事実わたしは本来必要であっただろう時期に母親という生き物からの母性は与えられていませんが、現在たのしく健康に暮らしているし、父はもちろん、会ったことのない母親のことも好きです。それに今では子供をつくるということに特別な嫌悪感はなく、「好きでも嫌いでもなくかわいいというそれ以上ではない」というところまで進歩することができました。

母性というのは母親だけが背負わなくてはいけないものではないし、そして本能という絶対的な輪郭を持った脅威にも似たものではなく、もっと漠然とした愛情のようなものだと考えれば、少しでも心が落ち着くのではないでしょうか。

逮捕されないために子どもを産む女の映画『アデリーナ』

最後にヴィットリオ・デ・シーカ監督の『昨日・今日・明日』という映画を紹介したいと思います。この映画は三作のオムニバスで、今回見て頂きたいのは一作目の『アデリーナ』というお話です。ナポリの下町で暮らす貧しい夫婦を描いた作品で、未払いの罰金を払えないことによる逮捕を免れようとしているところから話は始まります。そして奥さんは“子供を産んで半年以内・または妊婦だと逮捕はされない”ということを知り、次から次へと子供をつくるのです。

子供を産むたびに美しくなっていく妻と、反対にやつれていく夫。下町での人間模様と出産がリズミカルなコメディとして描かれています。この映画はおそらく現在あなたが持っている“子供をつくる”というイメージとは全く別のアプローチから作られた作品だと思います。母親になるということや母性について深刻に考えられている今の状況のちょっとした息抜きになるのではないでしょうか。

これはコメディですが、なんと実話に基づいた映画なのです。そのことを頭に置きながら鑑賞すると、よりいっそう楽しむことができるかもしれません。

(つづく)

TEXT/はくる

初出:2016.03.18