誇張や落差を笑える世界はどこに

 カリカチュア(誇張)した毒を用いた笑いについて、
他の「デブ・チビ・ハゲ・バカ・貧乏」は笑いになっているのに、
どうして?という問題もありますが、それも早晩自粛されるでしょう。
それはネット時代になっても強大な広告力を持つ地上波テレビの宿命です。

 民放テレビ局は許認可事業であり、誰もが参入できるビジネスではありません。
そこには公益性や公共性が求められます。さらに広告主である企業も多国籍化や
コンプライアンスの厳格化を進めていきます。
企業統治の観点からもハラスメントと誤解されるものは
ますます電波に流し難くなるでしょう。
なので過激な内容のコンテンツや差別的表現と誤解されるものは
ペイチャンネル(視聴料を払って観るテレビ)や
ネットメディアなどに移っていくだろうと思います。これが私の考える時代の流れです。

Nobody is right.

 ただここまで書いて淋しいのは
私がとんねるずさんが大好きで、多感な頃にとても影響を受けて、
二人が視聴者と一緒に作り出す共犯関係のような笑いがたまらなく好きだった
昭和の少年だったからです。

深夜に流れていたオールナイトニッポンを聴くくらいとんねるずさんが好きでした。
保毛尾田保毛男も私自身はそれで苦しんだ記憶が無く、
当時観て一緒に笑っていた記憶しかないからなんでしょう。

 このくらいの毒はむしろ励みや笑いに転化できるくらいのガッツを持って生きてきましたが、
それは私が強かったからで、傷ついた人も沢山いたと言われたら何も言えないという現状もあります。
確かに保毛尾田保毛男が出てきた時、私はそれを笑いに変えたり、
何くそと思ったりできる年齢だったけど、
それができない小さな子供も観ていたのは確かです。

 時代が変わるのは仕方ないし、メディアと視聴者の関係もそれに合わせて変わります。
だからと言って面白いことがこの世から無くなることはありません。
街に出れば規制無しの情報が飛び交っています。
だからこれから私はむしろライブや社交場が大切になってくるように思います。
私がお店を大切にしているのはそれも一つの理由です。

Text/肉乃小路ニクヨ

次回は <完璧でない私という自覚が私を育てる。急がないで人生を変えるやり方>です。
誰かに傷つけられたとき、モラルに反するような行為を目にしてしまったとき。糾弾したい気持ちに駆られることもありますが、そんなときこそ自分を鑑みてみませんか?誰のことも傷つけたことがない人はいません。厳しく責めすぎるのをやめるために、自覚を目指しましょう。