「性の歓び」は人生のステージによって変わり続ける

しかし、いつしか、そういった自己探求をあまりしなくなってしまった。そのきっかけを考えると、初体験を済ませたことだったように思えます。それまで“性”というものは、自分の身体や心を探求するものだったのが、セックスを知ったことで、誰かとの結びつきの証という役割をも担うようになった。
同時に、「恥ずかしい」「変態だと思われたくない」「擦れていると思われたくない」といった自意識が生まれ、気兼ねなく自由に遊ぶことができなくなってしまった。セックスを知れば、可能性が広がると思っていたのに、セックスを知ったことで、窮屈になることがあるなんて!

もっとも、それは今となればのことで、若い頃のわたしは、自意識に邪魔されることをちっとも窮屈だとは思っていませんでした。むしろ、他人とともに性の冒険をできる喜びを感じていたし、時に自意識が破れる瞬間には、カタルシスに似た快感もあった。羞恥心や背徳感が薄れた今となっては、なかなか得ることが難しい種類の気持ちよさを楽しめていました。

そして、40代も半ばに差し掛かったいまは性をバカバカしく下品に楽しむというフェイズにいます。性の入り口を覗いたばかりの頃にはそんな余裕はなかったし、恋愛に夢中だった年頃の時代も、どこかロマンチックな要素が必要だった。けれど今は、もう少しエロを気楽に、笑えるものとしてそばに置きたい気分です。そういう意味では、性の歓びの形は、人生のステージによって変わり続けるものなのだと思うのです。

Text/大泉りか