夫に「ごめんっていえばいいじゃん」と言われて

ある晩、夫と晩酌をしている途中で、映画のDVDでも観ようかという話になりました。「せっかくだから、部屋の電灯を消して観よう」と話し合った後、テーブルの上の空いた皿をキッチンに片づけ、再び部屋に戻って腰を下ろした瞬間、夫が「あ、なんで電気消してくれなかったの?」とわたしに言ったのです。

「え? わたしが?」
「そう、立ってたの、そっちでしょ。消してよ」
「いま座ったばかりの人に、また立ち上がって消せっていうの?」
「消してくれればいいじゃん」
「もう座っちゃったんだけど」
「消してよ」
「消したくない」
「なんで? 簡単でしょ。ああ、ごめんっていって、消せばいいだけの話じゃん」

けれど、わたしはどうしても、立ち上がりたくなかったし、謝りたくもなかった。その理由は至ってシンプルで、 “わたしばっかり負担を負わされている”と考えていたからです。

ちょうどその頃、息子を生んで半年かそこらの時期で、睡眠不足に加えて、慣れない子育てで、身も心もボロボロに疲れ切っていた時期でした。「なんでわたしばっかり、こんなにも消耗させられてるの」という思いが常にあり、そんな状態の人に「電気を消して」とさらに負担を増やす夫の気遣いのなさが腹立たしかった。

夫に「謝りたくない」と思っていることに気が付いたとき、かたくなに謝らなかった昔の恋人のことをふと思い出しました。謝りたくないわたしと、かたくなに謝らなかった彼の共通点、それは肉体的に疲れ果てて、精神的に追い詰められていたことです。

彼は常々、「俺の仕事は、ただ時間を切り売りするだけの仕事だから」とか「仕事なんて、ひとつも楽しくねぇよ」というようなことを口にしていました。それでいて、拘束時間も長い。そんな仕事がつらくないわけがありません。

産後のわたしと同じように、しんどい環境に必死に耐えていた恋人の心はきっと、被害意識に満たされていて、自分が加害者であることを認める「ごめんなさい」が言えなくなっていた。

謝れないと、二人の関係は殺伐とする

問題は、配偶者やパートナーに対して「謝れない」と、関係が殺伐とすることです。
だってわたし自身、寝ぼけていたとはいえ、人のことを殴っておいて謝れない男って、最低だったなって、いまだに思っているわけで、そういう過去の事案は、今に活かしたほうがいい。

そのため、謝れなくなってることに気が付いてからは、なるべく「ごめん」と言うように心掛けています。ただ、実際はまだまだ苦手で、謝れないことも多いし、「なぜ謝らないといけないのか」と悔しい思いが沸くこともあります。けれど謝れなかった後味の悪さも、またしんどかったりもする。

どうすれば……と思った末に、「ごめん」の言い方を変えてみることにしました。神妙に「ごめんなさい」と頭を下げるのではなく「あっ、ごっめ~ん!」「あら~、悪い!」と軽く言うようにする。
不思議なことに、それだけで謝るハードルがぐっと下がった。しばらくはこの方法で、リハビリをしてみようと考えています。

Text/大泉りか