「女らしさ」を手口にして遊べ!

湯山玲子

湯山: 私は、自分が女らしいと思ったことがない。これって、実は女性がほとんど持っている感覚で、そもそも女の人の中に「女性性」とか「女らしさ」みたいなものがもともとあるかって考えたら、ないんじゃないかと。

二村: ふだん、「私、女だから」って思うこと、あんまりないでしょうね。

湯山: そう、人としてちゃんとありたいとか、責任を持ちたいとか、いろんなことを伝えていきたいと思ったときに、それを自分の中の「女」がやってるとは思えない。

二村: さっきの「自我とは勃起したものだ」という話と同じですね。

湯山: そう、これ言うと、フェミニズムの人に誤解されちゃうんだけど、人間っていう言葉は基本的に「男」を指している。自我のある人は男。
だから、仕事で意志的な女性は「私、男だからさ」という。嫌な言い方だけど。

二村: 女性性というのは【へこんでいるもの】だけど、自我というのは男女関係なく【でっぱっているもの】ですからね。女性は「自我」と「女」という矛盾する2つのものを抱えてなきゃいけないから面倒くさくなる。

湯山: だから私にとって「女性性」とか「女らしさ」っていうものがあるとしたら、それはもう「手口」でしかないですよ。自分の「女らしさ」みたいなものを「手口」だと割り切って、恋愛やセックスを「文化」や「趣味」のひとつとして遊ぶ、ぐらいに思ったぐらいでバランスが取れると思う。

二村: それはすごくいいと思います。苦しくなく、自分が面倒くさくなく生きていくための方法として。