何かに対する態度

本当に見るべき部分は、彼が居心地のいいあなたとの関係で、「挑戦や努力をやめてしまっていないか?」だと思う。

長期的に心を許せる相手がいるときに芽生えるのは「ありのままの自分を承認してもらえる」というヌルマユ根性
それが、彼の仕事に対してとか、趣味に対してとか、あなたとの関係-たとえばサプライズをナァナァにする-に対してヌルマユをやっているのであれば、魅力のない相手と判断して良いと思います。

逆に、これらにきちんとした態度で向き合っている姿を見れるのであれば、一見して気づきにくいけれど、それは魅力的な姿だと思います。
そこに対して刺激を受けないのであれば、見つめる側の問題です。

大事なのは、自分が見逃さない視点を持っていること。
そして、それを見て、自分を鑑みること。

彼が何かに対して頑張っているのと同じように、自分も何かに頑張れているか?
自分に対して向けてくれる気持ちを、相手にも持てているか?

俺個人は彼女に対して、自分が出来ないようなことをチャレンジしていて、そこに敬意があるし、刺激を受けていて、魅力を感じ続けています。
ひるがえって自分を見たときに「ヤベェ」と感じることも多々あります。

自分のパートナーに対して、わかりやすく予想外なこと/知らない部分(見えやすい刺激)が減っていくことは喜ばしいことですよ。それは一緒にいたからこそ。
ずっと一緒にいるから相手の思考パターンを読めるようになったわけで、彼が「つまらなくなった」とはまた別の話。

まとめよう。関係が長く、安定的になるほどに分かりやすい刺激は失せていくかもしれない。
そのときに大事になってくるのは自分自身の彼を見つめる視線の粒度を細かくすること。
彼自身が刺激的な存在であること。
同じ視線を自分に向けられたときに、彼を満足させられる自分で在ること。

これは両方が成立していないとダメだからものすごく難しい。

だからこそ、一生一緒にいる相手を見定める基準としてはそう外してはいないと思う。
すべては物事に対する「態度」が信頼できる人間性かをどうか決めるんじゃないかな。

昨日のAMの記事

平熱感について書いたら、まさしく昨日の記事でアルテイシアさんのインタビューが載っていました。「淡々と落ちついたテンション」「無償の愛は物足りないもの」という素敵なフレーズが出てきます。アプローチは俺の方法と違うけど、ぜひご一読ください。

ブログで「あとがき」やってます

AMでコラムが掲載された数日内に、あとがき・こぼれたエピソード的な記事をブログで書いてます。よろしければ。

Text/ファーレンハイト

初出:2014.02.13