視線、間、ふれあい、呼吸
言外のコミュニケーションを見せる役者たちの身体

 この『愛の渦』は、脚本・監督を担当している三浦大輔率いる劇団ポツドールによる、2006年岸田國士戯曲賞も受賞した舞台が原作だ。

 先述したように本作では、セックスに至るまでのプロセスや、ヤれる/ヤれないの基準で生まれるカーストといった、欲望と感情が渦巻くコミュニケーションを描くことに重点が置かれている。
そこでわたしたちは気づかされる。
ふだんの何気ないやりとりでも——それは言葉以外の視線、接触をふくむ——空気を読んで “会話” していることに。

鈴木みのり 愛の渦 (C)2014映画「愛の渦」製作委員会

 映画では特に、役者の体や息づかいがスクリーンに大きく映し出される分、彼らの力量に託される部分が大きくなる。裸の彼らの体が、説得力を持たせるのだ。
かわいい三津谷葉子に微笑まれるとかわいいと思うし、新井浩文の体は鍛え上げられていて抱かれたくなる。
そして何より、本作で主演を務める若いふたりの瑞々しさに目を奪われる。
池松壮亮と門脇麦。20代前半のふたりの若い役者は、奥に秘めた才能を観客に感じさせないように、はじめはほとんど影を潜めている。
作品が進み、パーティーが盛り上がるとともに、自身の役者としての才能を解放するかのように、彼らは強い存在感を発揮しはじめる。

基準はヤるか、ヤらないか
値踏みし合う、セックスまでの生々しいやりとり

 役者ひとりひとりの肉体が要となって作り上げられていく、乱交パーティーの現場。
そこでの登場人物たちの心が、欲望がむき出しになっていく会話劇は、痛く刺さってくる。
冒頭では柔らかく撫で合うように、自己紹介をはじめる。
いきなり自分の欲望を露にすることに抵抗があるのか、なかなか自分から「ヤろう」とは切り出さず、視線を交わしては反らす。ヤりに来たくせに。

「ヤる」を「デート」とか「好き」に置き換えてみるとどうだろう。
自分からデートに誘うのは恥ずかしい、けど気になるからもっと話したい、とりあえず様子を見よう……。
相手が口火を切ってくれるまで自分から開いていかない、でも打ち明けたい、なんていうまどろっこしい駆け引きの場面に身に覚えはないだろうか?

鈴木みのり 愛の渦 (C)2014映画「愛の渦」製作委員会

 本作は、生優しいやりとりでは終わらない。
夜が深くなり、体を交えるごとに、どんどんと動物性が目覚めていく。
「皆さんってスケベなんですよね!?」という赤裸々なセリフが飛び出す。同時にセックスの相手の品定めが露骨になっていく。
つまり、ヤる/ヤらないの審査のために、顔、体型、匂い、病気持ちかどうか、セックスが上手そうかどうか、そんな基準が明らかにされはじめるのだ。
観ているこちらも同様に、日頃から値踏みされているのでは……という恐怖があおられる。