「違い」を楽しみ、持っていない価値観を補い合う!

たとえば、親しい人が亡くなったとき、「悲しむ」人もいれば「怒る」人もいるわけ。そして「喜ぶ」人すらいます。

アテクシ、ある事情で、外国のお葬式に参列したことがあります。
そのお葬式は全くアテクシの想像していたものとは違ったの。
何せドンチャンドンチャン楽器を鳴らして、楽しそうに町を練り歩くのよ。完全に、お祭り状態。

なぜなら、あの世への旅立ちというのは、一生に一度のもの。
その国の考え方では、おめでたいことの一つなんです。
残された人にとっては寂しい期間が続くけれど、やがてみんなが行くところ。
それが人によっていくタイミングが違ったというだけ。
だから、できるだけ盛大に明るく送ろうという考え方なのね。

精神科の診察でも、こんなことがあります。
たとえば、親身になっていろいろ話を聞いていても、時にそれが患者様の怒りを買うことがある。
こういうとき、「なぜ、親身になっているのに怒るの? ありえない!」などと怒っていたらだめなのよね。

大事なことは「こういう話し方をしたら、この患者様は怒りを感じた。なぜだろう? そこに解決の糸口があるかもしれない」と考えるんです。つまり、価値観が違う人が近くに居ることは実はとても有難いことなの。
その人にはその人の理屈があるわけだから、いろんなものの見方ができるようになるチャンスだわ。

お互いに持っていない価値観を補い合うようにになれば、まさに理想的な関係性が築けるんじゃないかしら?
だから、親しい人がモヤモヤすることをしたとき、それは本当に理想的な関係になる大きなチャンスなのよ。

人は誰一人とっても同じじゃない。だから「同じ」じゃなく「違う」ことを楽しめばいいのよ。
違う考え方、価値観をそういうものだとして受け入れていく。
それが自分の器を広げることであり、成長というんじゃないのかしらね?

一般的に年をとればとるほど、自分の考え方に固着していく。視野が狭くなる。
だからこそにいかに多くの視点、価値観を受け入れていけるかが、後に大きな結果となって出てくると思うの。
世の中を生きていくということは、自分を向上していくゲームなんです。

ピンチはチャンス。だからモヤモヤしたときほど、自分が一皮向けて成長できるチャンスなのよ。

参考になったかしら?

Text/Tomy

初出:2013.06.14