シェルターに入れなかったむき出しの私はゲストハウスへ

その様は、いっさいの不幸も寄せ付けないようなシールドに保護されているというか、強靭なシェルターに守られているように見えるのです
そして、これに似たようなものが、両親と同居している独身の女友達からも感じられます。
「彼氏なんか最近興味なくて~、結婚なんて~」という一見余裕なのかな?と思われる発言も飛び出す彼女達。
先行きどうなるんだろう?と私が心配してもしょうがないのだけれど、ちょっと羨ましくもあったりするのです。

家に帰ると、生活を共にする身内がいて味方になってくれるという強靭なシェルター。これがあるのとないのでは、生きていく上で大きな違いがあります。
そうか、私はこのシェルターを持っていなかったから東京で辛かったのだ、とシェルターに守られず、むき出しで一人ぼっちだったことを思い出すのです。

私が九州から上京してからは、東京の大学で先に上京していた妹と2人で生活していました。
しかし、私が1年間NYで日本脱出生活を送っている間に、妹は今の旦那さんと同居をスタートしており、いざ日本に戻ろうとしたら私の帰るところがなくなっていたので、ならばとゲストハウスに転がり込むこととなりました。

他人と住むのは面倒だけど、人の気配がしないのは寂しすぎる、さらに敷金礼金不要とお手軽なゲストハウスは丁度よかったのです。
当時はまだ今ほどなかったゲストハウス、私が見つけたのはインド人が経営するインド人のためのものでした。同居人は皆インド人で、時にケンカするものの仲良く生活していたのですが、2ヶ月ほど経ったころ突如改装のために出て行かなければならないことになってしまいました。

そしてその後、恐る恐る日本人のゲストハウスを探しあて、新しいゲストハウス生活をスタート。
そのゲストハウスは1つの部屋を無理やり仕切って二つにしているので、隣の男子のオナニーの気配なども感じてげんなりしたり、シェアメイト同士の恋愛発展が目に見えて辛くなったり…。
結局、ゲストハウスはシェルターらしき気配はあっても、結局1人であることは変わらなかったのです。

東京にいるときには気付かなかった「シェルター」と「むき出しだった私」。こういうことが毎度の帰国で色々と見えてきて改めて考えさせられます。

Text/中村綾花