ひとりでも平気なのは競艇・競馬・映画があるから

蛭子能収 蛭子能収

――先ほどの熱湯風呂のエピソードもそうですが、自由奔放にみえる蛭子さんの言動の根っこには確固たる信念が潜んでいることがこの本からすごく伝わってきます。

 つながりや絆を必要以上に大事にすることへの問題提起も鮮烈でしたが、そもそもこの本を書かれたきっかけは何ですか?

蛭子

最近SNSなどでさまざまな人につながることが流行っていますが、一方で色々な事件も起こっていますよね。LINEのグループチャットで悪口を言われたひとりが、悪口を言っていた友達を殺してしまった事件とかね。

 昔の学生運動にしても、オウム真理教にしてもそう。最初は友達だったのに仲間割れしていく。だって人の考えなんてそれぞれだからね。それを無理やりまとめていこうとすると、最悪の場合殺人に行き着くことさえある。あんまり友達とべったり仲良くし過ぎると、将来敵同士になる可能性があるんです。

 そこまで考えると1人でいた方が気楽でいい。グループに入らずに個人で不特定多数の人と遊ぶのもいいと思います。ただ、いつも同じ仲間うちでいるのってつまらない。

――芸能界というと派閥があるようなイメージですが、蛭子さんはそこにまったく寄りかからないという印象があります。

蛭子

派閥も多分あるんでしょうけど、俺はまったくそういうのに関わっていないんですよ。だから誘われることもほとんどないし、飲みに行くこともない。誰も俺のことを友達だと思っていないんじゃないかな。

――おひとりさまは、恋人不在、未婚などの現状を自分では肯定していても、世間からのプレッシャーに揺らぐことも多いです。

 そんなとき、「人と群れずにいたい」という気持ちと仕事という社会生活を両立している蛭子さんの姿勢はとても参考になるような気がします。女性はグループに引っぱられがちなので。

蛭子

本音で言うと、1人になりたいと思うときってありませんか? 本当に自由にできたら、正直なところ1人でいたいという人も結構いるんじゃないかな。仕事が終わったらさっさと支度して1人で帰る。それを後から人にあれこれ言われたりするのが嫌なのかもしれませんけど、俺は全然気にしません。スイスイ帰っちゃいますね。

――すごく自由なあり方ですね。本のなかでも自由が一番楽しい、大事だとありました。自由は寂しさや責任と背中合わせだとも思うのですが、なぜ蛭子さんはそんなに自由が好きなのでしょうか?どうしてそんなにも自由を思い切り楽しめるのでしょうか?

蛭子

やっぱり俺には好きなことがあるからだと思うんですよ。好きなことがしっかりあるんです。俺は競艇が好き、麻雀が好き、映画を見るのが好き。子どもの頃から、ビー玉やメンコとか、これで遊びたいってものが必ずあったんですよ。勝負して勝ったらそれを取り上げるものが好きだな。あとはトランプでお菓子を賭けて遊ぶとか……、あれ昔から賭け事ばかりだね(笑)。とにかく、「遊びたい」って気持ちが強いんですよ。でも本当はみんなあるはずだから、「遊びたい」って気持ちとは素直に付き合った方がいいんじゃないかなぁ。

 俺は高校卒業して看板屋に就職したんですね。看板屋で仕事をしながら考えていたのは、終わったらどこのパチンコ屋に行こうということ、ほんとそれだけ。仕事だけで1日を終えるのは、その日ただお金を稼ぐことだけに費やしたということになる。だから自分の好きなことを1つでもしてから家に帰りたいんですよね。

 だからね、働いた後に真っすぐ家に帰ったことって一度もなかった。だからといって誰かと遊ぶこともほとんどない、一人でパチンコに行って帰っていました。あのパチンコ屋は昨日負けたから、今日はこっちの店に行こうかとか仕事中に考えるのも楽しいんですよ。誰にも気兼ねせず、一人で遊ぶことを真剣に考えると本当にのびのびできますよ。