私を取り戻す

鎧を身につけた何者かが近づいてきたら怖いし、素顔の見えない覆面で話しかけられたら穏やかではいられない。間違いなく警戒対象だ。

端的だが、ちょっと面倒くさくても、自分を曝け出している人の方が安心する。

自分を曝け出した上で、誰とでも親しく、誰にでも好かれる人なんて存在しない。
だからこそ、自然なままの姿を受け入れてくれる人とは、互いに「愛する特権」を得たような気持ちで向き合うことができる。

嫌われたくない臆病な自分。故に表現でなくなった感情はどこに向く?
それはきっと心の内側で、“私”を蝕むだろう。

全力で怒り、泣いて、笑うことができる感受性を持って生まれた私たちは、もはや表現者。
生きている限り、卒業も引退もない表現者なのだ。
何かを手放しては、何かを取り戻す旅を続ける中で、「愛されたい」は永遠のテーマなのかもしれない。

「愛されない」と嘆く前に、「嫌われたくない」で蓋をした人間くさい感情に目を向けてみる。
自信のない人に、自信を持って! とだけ伝えたところで自信を持てないのと一緒で、嫌われることを恐れすぎている自らの臆病の垣根は、自らで超えなければならない。

勇気を出したその先に、本当の愛が待っているかもしれないから。

Text/椿

次回は<魅力的な大人になりたい。私に「大人の生き様」を見せてくれた女性/椿>です。
17歳の頃「大人になることへ希望を感じさせてくれ!」と切実に感じていたラッパーの椿さんにとって、真っ先に憧れの大人の女性として思い浮かぶのは、初めて東京に来たときにお世話になった女性でした。