他人は、密室の中までは見えない

「彼と結婚して大丈夫だろうか?」「私たちの関係っておかしいだろうか?」と迷いが生じたとき、他人の考えが参考になることもないわけではない。いや、大いにあるだろう。でも、結局「彼」や「私たち」が見えているのは、あなただけだ。他人には、密室の中までは見えないのである。

 よく「相手の真意を探るには、彼がお金と時間を対象にどれだけ注いでいるかを見ればいい」というけれど、それだって、愛すべき対象になら自分のリソースを無尽蔵につぎ込める人、たとえ最愛の相手でもある一線までしかリソースをつぎ込むことができない人、いろいろいる(ちなみに私は後者だ)。
どんな言葉があったら安心とか、どれだけお金と時間を使ってくれていたら大丈夫とか、そういうのも実のところあんまりアテにならない。他人の意見をまったく聞かないのも問題だけれど、他人の意見に振り回されすぎるのも、何か大切な本質を見失う気がする。

 もしまわりの声を気にしすぎてしまうという人がいたら、『八日目の蝉』を読んで、赤ん坊を連れ去った希和子が何を思っていたのかを考えてみるといいかもしれない。わかる気もするし、さっぱりわからない気もする。ブラックボックスの内と外に、思いを馳せることができる。

 世の中は表面上「正しさ」で動いているけど、小説は、そんな「正しさ」からはこぼれ落ちてしまうものを、いつも描いている。こぼれ落ちてしまったあれこれは、きっと、「正しさ」だけでは動けない私たちを、見えない場所でそっと救ってくれるはずだ。

次回は<私が可愛くなれば世界は変わる?ルックスに関する真実とその対処法>です。
年収と容姿の美しさには実は相関性がある…見た目がきれいな人は何かと得をしがち、というのは一面的には事実かもしれませんが、しかし、かわいくないからといってそれがすべての不幸の原因というわけではありません。人生イージーなルートには「ルックス」は必須でしょうか?