だれがどんな思いで、だれといるかはわからない

となると、ひるがえって我々「おひとりさま」だって、夫婦以上に多様な存在のはず。

「おひとりさま」は一般的に、独身者のことを指すのでしょう。さらにいうと、恋人がいないとか、友達が少ないとか、大勢といるよりも一人で過ごすのが好きだとか、いろいろな要素を連想させる言葉です。
だけどそんな「おひとりさま」であっても、家族や友人、あるいはそれ以外の関係の人で、大切に思う人、情や因縁で離れられない人がいるということもあるわけで。
外から見たら「ひとり」だけど本当はひとりじゃないということもあるし、外から見たら「ふたり」だけど実際はひとり以上にひとりだった、というケースもある。だれがどんな思いで、だれと関係を結んでいるか・いないかは、外からは絶対にわからないものです。

「ひとりでいるのって寂しいでしょう?」と人に言われても、その人に私たちの真の姿が見えているわけではありません。
本当に寂しいのは、実は「ふたり」でいるその人のほうかもしれない。だからやっぱり、他人の視線に傷付く必要なんてないんだと思います。外からは、私たちの実態は見えないのだから。

だれがどんな思いを抱えているかはわからない。「ひとり」とか「夫婦」とか「子持ち」とか、そういう外からわかる枠組みだけで境界線を作りたくないなあと、最近の私はよく思います。

※2017年8月25日に「SOLO」で掲載しました