「家でのんびり過ごす」とは言えない事情がある

クリスマスから年末年始は、1年でもっとも自分が孤独で無力な人間であることを思い知らされる時期であるかのように思う。クリスマスや年越し、元旦などは、恋人や家族、友人、とにかく誰かと一緒に過ごすためのものであって、孤独な人間にこれらの行事はさほど関係がない。普通の、ごく当たり前の時間が流れる日常が少し変わって見えるだけだ。家族とも疎遠になり、恋人もおらず、友人と特別な行事を過ごすほど仲を縮めることもできなかった私に、この時期に降りかかってくる孤独はとてつもなく寂しいものであるかのように感じる。

私が年末年始に旅行に出かけるのは、孤独から逃げる意味もあるのだろう。もちろん、もともと海外が好きで、とりわけ僻地や少数民族の暮らす村などに興味があるので、長期休みを取ることのできる年末年始は自分が行きたかった場所に行ける絶好のチャンスだ。

しかし、もし今後、都合がつかなくなって日本で過ごすことを決めた場合、私はどうしたらいいのだろう。そう考えると、少し怖い。家から出ることもなく引きこもり、変なプライドと遠慮が邪魔をして誰かと連絡を取ることもなく暇を持て余し、ただひたすらに時間が経つのを耐え忍ぶのだろうか。外の空気に触れることはなくても、SNSを開けばめでたい空気に包まれていて、たったひとり私だけが、この世界で孤独であるかのように感じるのだろうか。今まで人間関係についてちゃんとできてこなかったことについて、いつも以上に悔むのだろうか。それとも、実際に過ごしてみれば、寂しさを感じることも自分の孤独になってしまった性質を後悔することも案外なくて、飄々とひとりの年末年始を過ごすことができるのだろうか。

以前、日本で何もない年末年始を過ごしたときはまだ実家に住んでいて、とてつもなく暇だったことをよく覚えている。何もやることがない。やりたいこともなかった。自分の好きなことは、すべて正月の晴れやかな雰囲気にそぐわない気がする。

年末年始は、みんな口をそろえて「暇なものだ」「家でのんびり過ごすためのものだ」と言う。そう言えるのは、家族という人間関係のなかにきちんと居場所のある人だけだ。少しの時間ですら、家族とともに過ごすことができなかった私には、とてもじゃないがのんびり過ごすことはできなかった。基本的に何もしない時間というのが苦手だというのもあって、こんなにも時間を持て余すのなら、今後は絶対に海外へと出かけようと決めたのだった。

毎年、好きな場所に出かけたい。行きたい場所なんて、無数にある。でも、こんな生活がいつまでも続くとは思えない。健康状態や生活環境は1年あれば激変する。私は今更ひとりで、どんな普通の年末年始に戻っていけばいいのだろうか。

Text/あたそ

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