彼女を思い出すのはこれで最後だろう

彼女とは、お互いの存在をなんとなく知っていて、同じ場所にいれば軽く挨拶をするような人だった。出会ったのは、もう10年以上前にさかのぼる。
普段から何をしているのかよくわからない人で、本気じゃないような男女混合バンドをはじめてみてはそれらしい告知もなく解散してみたり、ぼやっとした輪郭のない写真を撮ってカメラマンを名乗ってみたり。色白で黒髪ぱっつん。まあ、ほだされて被写体をやってみたなあ。

私は彼女のことをあまり好きではなく、だからこそ意識していたのだろう。彼女はそれなりに評価されていたからだ。あくまで身内のみに限られはするが。
それでも当時の、今よりもずっと何もなかった私は、彼女が羨ましかった。自撮りばかりのインスタグラムも、中身のないポエムも含めて。
そうだった。私は彼女に嫉妬をしていた。自分のやりたいことを貫き通して、周囲に認められている彼女が羨ましかった。そんなこともすっかり忘れていた。「結婚しました」の2文字を見るまでは、彼女の顔も存在も頭からすっかり抜け落ちていた。

結婚に関しては、どうも思わない。うまくやっていければいい。そんなことより、自分の手に入れられなかった才能や立場、取り巻きの中心に自然となっているような人に、私はいつも嫉妬してしまうのだ。
歌を歌うためにステージに立つ人、紙の上にインクを乗せて自己を表現する人、自分の身ひとつで勝敗の決まるリングへと上がる人。彼や彼女になりたいわけではない。同じ立場になりたいと思ったこともない。けれど、自分がどうしても手に入れられなかった世界に羨望してし、気を抜くと、どうして私はあんな風になれなかったのだろうか、同じだけの才能もなく、努力もできなかったのだろうか、と考えてしまう。この感情は、きっと嫉妬だ。

彼女の存在が頭のなかから消えかけていたのは、お小遣い程度の稼ぎではあるけれど、このように文章を書く仕事をちょくちょくもらえるようになったからかもしれない。自分と向き合うことは、他人に嫉妬をするよりも時間とエネルギーを使い、人間関係や生活が変わることで、グラデーションのように薄くなっていくのだろう

久しぶりに彼女のSNSをチェックしてみると、何かしらの肩書きを持って活動することを辞めてしまったらしい。もしかしたら、私はもうこの人に嫉妬をすることもなければ、思い出すのもこれで最後なのかもしれないな、と思った。

Text/あたそ
初出:2019.06.25