「無駄だから」で可能性を潰さないで

最近、人の価値観や考え方は、どんなことにお金や時間を使うかによる、と考えるようになった。今の世の中は本当に色々なものが無料で手に入るようになって、かなり便利になったように思う。けど、無料で誰もが手にできるからこそ、私たちに与えられた条件は同じになった。どんなことだって、お金をかけずに楽しめるようになったのかもしれないけれど、周囲のいかなる人と平等であることは、結局同じ景色しか見えないんじゃないか? どんなに少額であっても、お金を払う/払わないという小さい境界線を飛び越えるだけで、別の何かが見えるようになるのではないか? と考えるようになった。

将来に向けてお金を貯めること、無駄遣いをしないことはもちろん大切だ。けれど、何かに興味を持って行動を起こすということは、結果としてお金も時間もかけた価値というものにつながるんじゃないか、と思う。
「もったいないから」「無駄だから」と何かをはじめる前から諦める理由を見つけて挑戦しないのは、自分の些細な可能性や興味を全否定することになるのでは…そう考えると、今までの私は本来自分のなかに眠っていたたくさんの自我を踏み潰し続けているような気すらしてくる。

年末から今年にかけて、私が新しく始めたことは、はっきり言ってやらなくても生きていけるものばかりだ。別になくたっていい。最低限過ごしていくには、どれも全く必要がない。
けれど、自分の生活をさらに満足のいくものにしていくため、余裕のある価値観や考え方を持つためには、必要な要素なのだと思う。

新しいものを知ったり、興味のボルテージが上がる瞬間というのは、何かを始めるための動機として最も純粋で尊いものだと思う。だからこそ、そこで悩んだり、立ち止まったりしないで、熱量そのままに色々なものに挑戦していけたらいい。どんな些細なことであっても、遠回りだとわかっていたとしても。そして、できるだけ長く続けていけたらいいなと思っているので、今手を出しているものは満足いくまで、もしくは飽きるまではなんとか頑張ってみようと思う。

Text/あたそ