「いや」とも「いい」とも主張できないまま

今私が勤めている会社は上下関係があまりなく、社員同士で飲みに行くこともよくある。まだ入社して間もないけれど、お酒が好きであることが表面化してしまっていて、月に1度以上のペースで必ず社員の誰かと食事をしたりお酒を飲んだりしている。
そしてついに先日、社長と余り者の男性、そして余り者の私で飲みに行くことになってしまった。

社長はくだらない話が好きな人で、仕事の話を挟みながら、終始バカみたいな話をして3人で3時間くらいゲラゲラ笑いながら過ごしていた。真面目な話もできたし、距離も少し縮まったような気がする。楽しかったし、よい飲み会だったと思う。でも、その時も「あれ?2人は付き合ったりしないんですか?」とか「うちの会社は社内恋愛を推奨しているんですよ」とたまに言われたりして、いつもみたいにへらへら笑って過ごせばよかったんだけれど、やっぱりほんの少しだけ胸の辺りから歪んでいくような気持ちになっていた。余り者の男性だって困ったような顔をしていて、とても申し訳なくなる。

お酒を飲みながらとはいえ、3時間も話して盛り上がるくらいなんだから、まったく気が合わないわけではないだろう。仕事もできるし、気も利くし、会社ですれ違うと話かけてくれたりするし、余り者の男性はすごくいい人なんだとは思う。
私だって、結婚適齢期で余りに余っている。恋愛というどうにもできない壁をずっと眺めているだけだと思っていたのに、突然強力な助っ人が現れたような気分だ。理想もグッと低くして、妥協できるところですればいい。人を好きになるなんてきっと簡単で、自分で自分に催眠術をかければいい。錯覚でも思い込みでも妄想でもなんだっていい。そんなの、ずっと前から、余り者の男性が私の目の前に現れる前から分かっていたことだった。

でも余り者の男性は、女性が傷つくこと、気にしているところを平気で口に出し、そしてことあるごとに性差を付けたがる人だった。例えば、太っている女性に向かって「ブタに似ているね」とか、お弁当を作ってくる人に「女性らしくていいね」と言ったりとか。些細なことかもしれないけれど、私はどうしても気になってしまう。こういうところにこだわりを持つのが、私のダメなところではあるんだろうけれど、やっぱりどうにもならない。このからかいの波が引いて、周囲の人のおかしな方向に伸びてしまった興味や関心がなくなるまで、一体どれくらい時間がかかるのだろう。

本当は、こうしておかしな出来事に巻き込まれるのも嫌なのに、「いい」とも、「いや」とも言えない。気にしないまま過ごしていくのが大人で、最もいい方法なのかもしれないけれど、自分が嫌なこと、放っておいて欲しいことへのきちんした対処法を考えあぐねている。どうしようのない自分に苛立つだけで、何もせずただじっと時間が経つまでの時間をただ待っている。

Text/あたそ

<常に笑ってた。周りに人もいた。でも、同窓会には二度と行かないと思う>もチェック!
人と仲良くなるのは得意だった。でも、高校の私はずっとひとりだった。

※2018年1月30日に「SOLO」で掲載しました