男女の関係を全く無視することはどこか違う

「男女の関係は成立するのか?」という議論がインターネットでは年に3回のペースで議論され、毎度のように答えが出ない。個人間の問題であるし、この場合の「友情」が何を指すのかは、少々曖昧な気もする。けれど、私の場合は当然「YES」だ。私が男友達を好きにならず、そして男友達も私のことを好きにならなければいいことだ。私にとってはとても簡単なことで、だから男女の友情は成立するのだと思っている。でもきっと、Bさんは私とは真逆で、男女の友情が成立しないタイプだ。

また別の、性に奔放なタイプの友達に「そういうの、男に相手にされていない気がして嫌じゃない? 寂しくなったりしないの?」と聞かれたことがある。相手にされるとかされないとか、気にしたことのない私の目からは鱗が落ちた。友達でい続けたいのであれば、相手にされない方がいい。私が女だってこと、忘れたまま接してくれた方がずっといい。けれど、男女の友情が成立しないタイプの人は、はじめから自分が女性だということ(というか、抱くか抱かないか)が前提で、考えて動いているのだと思う。だから、食い違う。
寂しくなる夜も、もちろんある。誰かが傍にいてくれたら、それだけで気が紛れて、落ち着いた気持ちでいられるのかもしれない。けれど、男の人に寂しさを埋めてもらおうなんて思わない。私にとっては意味のないことだって、ずっと思っていた。

けれど、目の前で何事もなかったように、仲の良さそうに笑っているAさんとBくんを見ていると、私が男の人から相手にされず、そして相手にされないことを気にしないのも、寂しさをただひたすら自分でなんとかしようとしていることも、不正解ではないけれど、少しだけ間違っている気がした。
男女間で何か間違いをしてしまったり、後悔するようなことが起こったとき、こんな風に普通に接して、普通に笑える日が、私には来ないのだろうと思う。こうして考えている時点で、私は幼いのかもしれないし、大きな社会の中でうまく生きていくことにも、あまり向いていないのかもしれない。

Text/あたそ

※2018年2月28日に「SOLO」で掲載しました