自分ひとりで噛み砕いて、創作と向き合いたい

私は基本的にライブをひとりで行くようにしているんですよね。会場には友だちが何人もいたし、誰かを誘うこともできたけど、でもやっぱりひとりで集中して見たいなと思って誰にも声をかけず、先行でチケットの希望枚数は「1枚」を選択する。まあ、誰を誘っていいのかも誰を誘うべきなのかもわからないし、面倒くさいというのが大きな理由のひとつでもあるのだが。

会場には私と違って、恋人・友達同士で来ている方もいて、一緒に歌って踊ったり、好きな曲の演奏に喜んだり、写真を撮り合ったりしていた。こういう空間だからこそ色んな人が色んな楽しみ方をしていて、「いいなあ」と思った反面、やっぱり私はひとりで楽しむべきなんだろうなとも感じた。

何かを好きでいるのってとても孤独じゃないですか。好きであればあるほど、何かに夢中になればなるほど、感覚的にどんどんひとりになっていくじゃないですか。自分の感覚・熱量に似ている人はいくらでも見つけられるし、他者と話すことによって考え方や価値観は変えることができる。でも、目の前の表現はちゃんと孤独にひとりで受け止めないといけないと私はあのライブを見て思った。

とても思い入れのある、好きなバンドだからかもしれない。目の前の演奏と私とで、1対1で向き合わないとダメだ。誰かと思い出を共有したり、人と同じ体験をするために自分があの空間の一部になるだなんて、私には必要ないなと思った。自分の頭と言葉だけで考えて、何が好きで、どんなことが好きじゃないか。どんな風に感動して、何をいいと思うのか。何を受け取ったのか。そういうものを必死にひとりで感じて、考えたい。私の場合は。前提として、いろいろな楽しみ方があるべきだとは思うけれど。

ライブやコンサートだけではなく、映画も小説も芸術もそうだけど、まずは自分ひとりだけでかみ砕いて自分のなかに落とし込んで、感覚的に理解することが、他者の創作への私なりの向き合い方なのだと思う。人と一緒に楽しめるのも羨ましいと思う気持ちは少なからずあるけれど、私が思い出や経験を他者と共有するために何かの想像力を用いてはダメなんだろうな。そういうことを、ライブが終わって、みなとみらいから自宅に帰るまでの電車の中でうつらうつらとしながら考えていた。

Text/あたそ