自分の選択に間違いはないと肯定して生きる

選択の幅が広がると、その分だけ後悔の機会も増えていく。私は女に生まれてしまった以上、自分の人生がどんな風になろうが、「なれなかった自分」「手に入らなかった人生」を考えて後悔するんじゃないだろうか。結婚した自分、しなかった自分。子どもを産んだ自分、産まなかった自分。仕事を続けた自分、続けなかった自分。人生のターニングポイントとなるような出来事だけではなく、生活のなかで日々選択を迫られ、何かしらを選び取らなければならない。

なんで、人生って2種類以上選べないんですかね。ゲームみたいに何度かやり直せたらいいのにね。どんなことがあってもリセットしたり、軌道修正できたらいいのにね。いや、実際はやり直せないなんてこと、きっとないんだけれど、子育てだけは別だ。産んでしまったら、絶対になかったことにはできない。さまざまな方法はあるかもしれないが、基本的には「やっぱり私には向いてなかったし!」と放り出すことは容易でない。

みんな、どうして子どもが欲しくなるんだろう。迷いや葛藤もあるのかもしれないが、子を持つという大きな選択ができるのだろう。目の前にそびえ立つ高い壁をなんでもないように飛び越えていけるのだろう。その考えに至らない私は、やっぱり幼くて考えが浅いのだろうか。

「今はいいかもしれないけど、子どもを産んでおかないと後悔するよ」と、何度も言われ続けて私は生きてきた。そして実際に産んだとしても、きっと私は子どもを産まなかった人生を思って後悔し続ける。でも、必死に自分の人生の選択は間違いではなかったと、肯定しながら年を重ねていくのだ。これから、どんなことがあっても。

一度の人生しか選べない。本当に自分が幸せなのか、自分の選択してきた道が自分にとって最善策だったのか、それは死んでもずっとわからないままだ。女ってつくづく面倒臭い性別だなと思うし、自分にとっての本当の幸せが一体何なのか、ますますわからなくなる。放り出してしまいたい。人生ごと。そんなこと、無理に決まっているけれど。

Text/あたそ

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