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  • 2012.10.31

“フツウ”の呪縛から解放されるために……『四十路越え!』(4)

恋愛できなきゃ“フツウ”じゃないの?

脱フツウ 恋愛 文庫 湯山玲子
by ValentinaM

 昨年、あるバラエティ番組の中でタモリが次のように言ったことがあります。

「だいたい恋愛しなきゃいけないっていうのもおかしいよね。
しなくたっていい。(みんな)恋愛に夢をかけすぎ。
恋愛とかで幸せになるとか思っちゃダメ。幸せは別問題だからね」
(2011年10月10日放送『タモリ・中居の手ぶらでイイのに…!?』より)

 新ドラマの番宣企画(当然、その中には恋愛ドラマもいくつかありました)の中でのこの異例の発言は、一部で話題となりました。

「恋愛をしてキレイになろう」
「いくつになっても恋する気持ちを忘れずに」
女性誌には絶えずこのようなコピーが踊り、“恋愛することがフツウ”“恋愛しないと幸せになれない”とでも言わんばかり。
そこに違和感や息苦しさを覚えていた人にとって、タモリの言葉はフッと肩の荷が下りるような“救い”だったに違いありません。

“アラサー”“アラフォー”という言葉の誕生とともに、女性が活躍できる幅や年代はグッと拡大し、延長されました。
 それは素晴らしいことでもありますが、その反面、30代、40代になっても“女として現役”でいることが求められる昨今の風潮は、新たな生きにくさを生んでいることも事実です。
この生きにくさを解消するためには、これまでの恋愛における“フツウ”を更新する必要があるでしょう。


 そこでぜひ一読をおすすめしたいのが、湯山玲子さん著『四十路越え!』です。
40代をアクセル全開で自分らしく生きるための戦術論を書いた本書は、私たちをがんじがらめに縛っている“フツウ”を脱するためにも、20代、30代の今のうちに読んでほしい一冊。
まさに「脱!フツウ」推薦課題図書の最後を締めくくるにふさわしい本なのです。

デート、友情、セックスを混同するから恋愛は重くなる!?

 この本は、40代からの自由で主体的な生き方のために、「恋愛」「セックス」「健康」「美容」「ファッション」「仕事」の6つのジャンルについて、それぞれ女性に意識改革をうながしています。

 とりわけ、「恋愛」において湯山さんが警鐘を鳴らしているのが、「女性は男性に選ばれてこそ女である」という考え方。
これについて本書は、「選ばれるためのほとんどの努力は無駄であり、選ばれなくっても結構!」とキッパリ。
さらに、「選ばれないことによってせっかくの人生でつまずくのならば、自由で静かな孤独を選んだ方がカッコいい」とさえ言い切っています。

「恋愛」の章で、湯山さんはまず高らかにこう宣言します。

「恋愛と呼ばれているものの大いなる原動力ははっきり言って、性欲にあります」

 その証拠に、若い頃から自分の性欲を自覚し、オナニーや風俗を恋愛と切り離して考えている男性は、女性ほど恋愛にのめりこみません。
それどころか、男性にとって恋愛や結婚は、“タダでセックスできて、家事もしてくれるパートナーを得るために、こなさなければいけない面倒な決まりごと”というのが本音なのです。

 一方で女性は、“恋愛”というロマンティックな言葉のもとに、性欲とその他のコミュニケーションを一緒くたにしてしまっている、と指摘します。

 本来、「デートしたい」「友情を築きたい」「セックスしたい」という欲望は、それぞれまったくの別モノ。
恋愛抜きで気の合う男性とデートだけしてもいいし、恋愛をせずに友情とセックスだけの関係があってもいいというのが、本書の主張です。
それなのに女性は、これらすべての欲望を、ひとりの男性との“恋愛”で満たさなければいけないという幻想にとらわれていると言います。

 友達だったときはサバサバしていて付き合いやすかったのに、恋愛になった途端、重くて面倒くさくなってしまう女性。
セックスしたいだけだったのに、それを恋愛だと勘違いして痛い目を見る女性。 そして、恋愛がうまくいかないと、女として人として、すべてを否定された気がしてしまう女性。

 彼女たちはみんな、恋愛というファンタジーに夢を抱きすぎているのかもしれません。


 今まで恋愛だと思っていた男女の関係には、実はさまざまなレイヤーがある。
「その中で、自分の最も良い感じの関係性をオーダーメイドのように作っていけば良い、と考えることで、ずいぶん女性はラクになるのではないでしょうか」
このように本書は提案しているのです。

男に“男らしさ”は求めるな! ――「脱!フツウ」のために

 そしてもうひとつ、本書で湯山さんが突きつけるのは、“男に男らしさを求めていたら、もう恋愛なんてできない”というシビアな現実です。

 前述したように、そもそも男性は“恋愛”に対するモチベーションが女性よりも低い生き物。
単に“性欲を満たす”だけなら、今は現実の女性よりもエロくてキレイなAV女優のセックスシーンをいくらでも見ることができます。

 そのうえ、社会で男性と対等にわたりあう女性が増えたおかげで、女性に対する一種のファンタジーも崩れ去りました。
男と同じくらい頭がよくて、同じくらい能力があって、同じくらい気が強くて、同じくらい給料をもらっていて、同じくらい性欲もあるのに、なんでわざわざ男が女を守ってあげたり、リードしてあげたりしなければいけないの?
男性がそう考えるようになっても、無理はありません。

「自分よりも力が上で、自分を導きリードしてくれる王子様」なんて、もはやフィクション。
自分は「女らしさ」から逃げ出して自由を謳歌しているくせに、男には「男らしさ」を求めるのはナンセンスです。

 もしもパートナーが欲しいのなら、古い“恋愛”のフレームを捨てて、たとえ男らしくなくても自分にとって気の合うナイスな男性を見つけ出すほうが幸せの近道だと、湯山さんは助言します。
そして、「それはもはや恋愛という概念ではカバーすることができない、多様な男女の関係性なのです」と結論付けています。

お見合い結婚よりも恋愛結婚。
浮気や不倫は絶対ダメ。
女の収入のほうが上のカップルはうまくいかない。
友達とセックスしちゃうのはマナー違反。


このように、世間には常識の範囲内でみんなと一緒の“恋愛”をすることが、正解であり正義であり“フツウ”だという空気が流れています。
「そんなに仲がいいんだから、ふたり付き合っちゃえばいいのに」
「そんな彼とは別れて、自分を大切にしたほうがいいよ」
そうやって人から“フツウ”の恋愛観を押しつけられることもしばしばです。

 しかし、そういった白か黒かの二元論は、物事を単純化してしまう“コドモの考え方”だと本書は批判しています。
オトナは常にあいまいなグレーゾーンを残して物事に対応するもの。
「相手が自分にとってかけがえのない存在だと思えるのなら、それを続ける自分なりの方法やモラルはさまざまに存在する」のだと語りかけるのです。


 恋愛の価値観や事情は人それぞれで、それぞれの満足があっていい。
この本は、“フツウ”にとらわれて幸せを見失っている女性たちに、「脱!フツウ」していいんだよと呼びかける、愛に満ちた“救いの書”なのです。

 4回にわたってお届けしてきた「脱フツウ恋愛文庫」、いかがでしたか?
最後に、冒頭で紹介したタモリの発言の続きを引用したいと思います。

「幸せというのは、前の上を見るんじゃなくて、後ろの下を見ること。望むものじゃなくて感じるもの」

 みなさんが、ありもしない“フツウの恋愛”という呪縛から解放され、すでにそこにある“フツウの幸せ”を感じられることを願っています――。


Text/Fukusuke Fukuda

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ライタープロフィール

福田フクスケ
フリーライター。“くすぶり男子”の視点から恋愛やジェンダー、セックスなどを考察。

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