認知科学者・苫米地英人さんインタビュー「女性の価値を下げるな!」【中編】

認知科学者の苫米地さんへのインタビュー第2回です。今回は、「目標を結婚に設定してはいけない」という年頃の女性にはぜひ聞いていただきたいお話と、女性の価値に関してお伺いしました。

「こんな人と結婚できたら幸せ」と願うのは絶対いけない!?

苫米地英人インタビュー画像
AM編集部(以下、AM)

ゴール(自分の目標)の設定を「結婚」にしてはいけないのですか?

苫米地英人(以下、苫米地)

ゴールは、自分のことじゃないといけないんです。「金持ちで、ハンサムで、性格がいい男と結婚したい」はだめ。他人のことだからです。ゴールは、“自分が”こうなりたいこと。確かに、結婚は“こうなりたい”ということのひとつかもしれないけど、一瞬の話で、婚姻届を出す時だけのことでしょ。それは自分のことじゃない。紙のことです(笑)。
「自分が、どういう姿で、どういう将来になりたいか」。一瞬ではなく、長期間においての目標。そうしないとエフィカシー(※)が下がってしまうから。それは、「ハンサムで、金持ちで、性格がいい男とくっつかないと、私は幸せになれない」と言っているのと同じなんです。思いっきり自己評価を下げていませんか? 「貧乏人で、だめなブ男でも私は超幸せな女!」 だったら、エフィカシーが高いからまだいいんだけど。

※編集部注:エフィカシーとは未来の自分に対する自信を持ち、困難な課題にも前向きに立ち向かうこと。

AM

自己評価を下げている女性はかなり多いかもしれません。周囲にも、こういう条件の人と結婚しないと自分は幸せになれないと思っていそうな女性が見受けられます。

苫米地

それは、完全にエフィカシーを下げています。日本は儒教社会だから、今だって田舎にいけば「長男の嫁」という言葉がある。ふたつの意味での差別ですよね。長男は次男よりえらい、だから男同士だってまずランクがあるということ。それで「の嫁」って物ってことになるよね。「の」って所有格ですよ。所有格を表わす格助詞(笑)。古い儒教カルチャーだよね。それがいまだに日本の田舎では言葉として残っているんだよ。
要は、男には1.2.3.4で順番がついて、それは一応人間同士の順番だけど、女は人間じゃないと言っているわけだから。それが、日本の根強い儒教文化。最悪です。その文化は、日本の女性のエフィカシーを下げてしまっているから。それをぶっとばさないといけない。
ぶっとばしていない人たちは、「こういう人と結婚したい」と願うようになる。つまり、結婚した男の価値で、自分の価値を決めようとする。うちの叔父が某米国M商事の社長を長くやっていたことがあり、丁度同じ頃アメリカへ留学に行っていた時期があったのだけど、当時目の当たりにした、今でもよく覚えている出来事がある。その会社は東海岸の支店だけで、日本人社員が300人ぐらいと大所帯。俺が大学生だったときの話ですけど。
それで、その社員の奥さん300人には、不思議なことに上から下まで1、2、3、4、5ってランクがついている。それはどういう理由でランク付けされていたかというと、夫の会社での順位で決まっていた。だから若い妻でも、夫が偉いと、年寄りよりも偉い。彼女たちは、その序列でブワーっと並んだまま、日本人が集まるグループに集まってくる。その集まりが各商社であって…。そこにこないと女は村八分になってしまう。それを見て、「ここ本当にアメリカかよ~」って驚いたのはよく覚えている。

AM

アメリカでも日本人は夫と妻の立場を連動して考えてしまうのですね。

日本人はそういう部分があるよね。夫に準じたランク付け、ということをアメリカに行ってまで行っているんだよ。でも、その文化も、21世紀にはそろそろ終わるはずだよ。

AM

夫をたてることが、女性らしさにつながる…ということを語られている方もいますが、この考え方についてはどう思いますか?

苫米地

「女性の品格」とか言っている人達は、その女性のエフィカシーを下げようとする文化を助長していると思う。品格は女性も男性も同じだから。「人間の品格」だったらわかるけど。ああいった本を読んでみると、ようするに「短大の栄養学を学び、よい嫁さんになる」みたいなさ(笑)。簡単にいうと「家政学科に入りあとは家庭に入るのが一番だ。あとは夫の言うことを聞く奴隷になれ」って書いてありますよ。そういうことを最悪なことに影響力のある女性が書いている。よい嫁になれなんてことを女が言うなよ、と思うわけです。まだ、男が言うなら「このやろー」で済むけれど、女が言ってしまったら、その制度をわざわざ助長していることになるでしょう。

だから例えば周りの女の子が自分で、「こんな人と付き合いたい、結婚したい」だのと言っていたら、怒ってあげなきゃだめだ。「日本ならではの、女性のエフィカシーを下げる文化を、わざわざ宣伝しないでよ!」と。結婚するかしないかはもちろん個人の自由。たまたま好きな人がいて、子どもが欲しくなったというのだったら結婚すればいいし。子どもがいらないのなら、無理して結婚しなくていいって俺は思っている。そんなのは個人の自由で、フェラーリ買うか、トヨタ買うかというような悩みみたいなもの。その時、結婚相手がどんな人物かで、自分の幸せがどうなるかということは関係ないから。

普通は結婚をしたら、自分の幸せは遠のくんだよ。なぜなら、自分のやりたいことがやれなくなるからだ。それでも、自分の愛と、やりたいことを天秤にかけてみたら、愛が勝ってしまうこともある。ちなみに、職業や年収で相手を選んでも夫が急に職業放棄することもあるんだし、スペックと愛は別なベクトルでしょう。とにかく、最初から結婚自体が自分の幸せのゴールの一部になってしまっていたらアウトです。