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  • 2012.10.10

仏女性の男への期待度とは

男性にいろいろ求めすぎたせいで、男たちが責任を放棄!?

Obama Volunteer Poll Worker -- IMG_7059 By stevendepolo
©Obama Volunteer Poll Worker -- IMG_7059 By stevendepolo

 先日、うっかりネット上の婚活センターのweb広告で「結婚能力度」みたいなのを測る心理テストを試してしまったら、うっかり婚活相談に申し込み手続きが済んでしまい、家に用もないのに資料が山ほど届く状況に……。しまった、うっかりがすぎる! テヘっと天然女子のマネをして自分の愚かさをなかったことにしようとしましたが、案の定ムダでした。その後、しつこく送られてくる婚活メールやら、資料送付やらが僕の心を荒ませてくれました。
何が荒ませたかと言えば、婚活センターへの登録に必要な項目。男性の年収や、財産をチェックするのが婚活ではどうやらフツウのことになっているようです。ちょ、ちょっと待って、それは浅ましすぎ……と思っているのがどうやら少数派ということを知り、自分と世間の埋まらないマリアナ海溝より深そうな溝に気づき、2時間くらい立ち直れなくなりました。。。

 そういう、男性の社会的スペックをあらかじめ知っておかないとそれは結局「男性に自分の人生をなんとかしてもらおう」という他人頼りの考えの表れ。仏女性は、ハイクラスの貴族のように社交にいろいろなものが懸っている場合を除き、男が何かをしてくれるとは以前ほど考えなくなっています。

 20年も前に女性学者エリザベト・バダンテールが語っているように「女性に必要とされているのは仕事と、教養と、恋人と過ごすためのプライベートな時間」だけ。自分に何かある種の豊かさを与えてくれるのは自分だけであり、頼るべき時がきたらその対象は「国」だから。社会保障が豊かな国は、女性たちが個人(男性などのパートナー)にすがりついて寄生して生きて行くことを許しません
フランスはまだまだ高福祉国家とはいえませんが、日本にくらべればずっと福祉国家。自分の幸せは自分でどうにかするもので、どうしても苦しかったら頼るのは行政(国に頼ることを恥とはしていません。なぜななら自分たちが作っている国家だから)。日本人は行政に頼ると、すぐに「国にたよるなんて!」と非難されます。最終的に福祉的にすくいあげるセーフティーネットが少ないからこそ女性たちは「男が自分の人生をどうにかしてくれる」という考える傾向になるのが、なんだか男に都合がいいように見えて、男も実は苦しめているような気がします。

 その証拠に80年代、女性運動が顕著だった時代に、フランス人男性は二律背反に苦しめられていました。実は家族幻想がものすごく強く(今でもそうですが)、男性も女性も多くが結婚を幸せの糧だと信じていた時代、女性は結婚に“(女性自身の)自由の許容”“(女性への)寛容さ”“脱マッチョ思考”“誠実さ(忠実性)”をより求めるようになった一方で、男性に対し、同時にそれまで男性に求められてきた“責任感”“教養”“積極性”“頼り甲斐”などを相も変わらず求めていました。女性に優しい、日本語で言うところこの「草食系」でいて欲しい一方で、必要なところでは「肉食系」でいてほしい。
そんな都合の良いことを求められたおかげで、それまでラテン系バリバリの「男らしさ」を基準に生きてきたマッチョフランス人男性は、「え? そんなの無理だし!」と一気に責任放棄。妊娠させても中絶を求めたり、子どもの認知を拒否したり、育児放棄をしたり、結婚する直前に別れたりとまるで“子ども返り”のように、家族と子どもから逃げ始めたのです。
結果、1980年から15年ほどの間に出生数における婚外子の割合が11パーセントから36パーセントと3倍以上に倍増(仏国立統計機関による)。父親に認知すらされない子どもが急増しました。


男性に期待するのではなく、自分で幸せになる

 まるで、現在の日本のようです。わがままさと引き換えに、責任を負ってきた男性を、二律背反の要求で引き裂くとこうなるという日本の未来を予言しているようです。そこで、女性側に何が必要になってくるのかという疑問にあるフェミニストが、新しいカップル契約、PACS制度を絡めて答えを出しています。

 「いつでも関係を断つことができ、結婚のように厳しい規則もなければ、慰謝料などもない。不公平に思えるかもしれないけれど、結局それがノーマルだと思う。一緒にいたくないのに一緒にいるのを義務付けるのは不公平だから。肝に銘じておかなければならないのは、このような関係をつくると、いつかは見捨てられる危険があるということ。だから、それがわかったうえで行動しなければならないということ。
 女性が自分で身を守り、自分で責任を取るよう義務付けるということは、社会に対しても同じように、女性に男性と対等な平等と教育と地位を与え、男性と同じように扱うことを義務付けること。これからの時代は、女性たちも教育を受け、仕事を持ち、社会で信頼され、ステイタスを持つようにならないといけない。パックスは自由がある一方、もし何かあっても、何の保障もないのよ」。

 配偶者年金や、扶養控除をあてにして、結婚による減税の恩恵を、「結婚」という形で享受できている限りは、結局本当に自由で、対等な恋愛などできないとようやく行動し始めていた当時のフランス社会と女性の覚悟が、日本人女性の間で現れてくるのは、意外ともうすぐかもしれません。

 そのためには、保障がカップル単位でなく、個人単位重視にシフトしなければなりませんし、ましてや親が貧乏になったら子どもが生活保護の代わりに扶養しなければいけないなどという家族主義の法律はもってのほか。

 自分のケツは自分で拭く。自分の幸せは自分で作る。拭けず、作れない場合は、国が面倒を見る。結局のところ男性頼みの結婚生活を放棄して自由を得ている女性たちというわけですが、つまり「男性に期待しない」女性たちは意外と日本にも増えているような気がします。

Text/Keiichi Koyama

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