日本では言葉数が多い人が何故モテないのか

フランスにおける「ナイーブ」の定義

A girl playing guitar in front of an antique shop By Marcel A girl playing guitar in front of an antique shop By Marcel”Madjo”de Jong

  「ナイーブ」は形容詞”naif”(内気、内向的、繊細などの意)の女性形です。日本ではこの言葉のネガティブなイメージが無視され、「繊細」の意味のみで使われ褒め言葉にもなっていますが、フランスで「ナイーブ」ははっきり言って「頭の悪い人」というような意味。内向きで繊細で、あまり人とコミュニケーションが取れない人は、フランスでは出世できにくい。
 とはいえ、伝統的におどおどしている感じの男性も、モテる人はモテますし、短絡的にそう言い切れるものではないのですが、日本女性の「寡黙な人」「不器用な人」「高倉健な人」に対しての人気には、異様なものを感じます。
 合コンでは、盛り上げ役の3枚目を引き受けて頑張っている幹事よりも、テーブルの端っこで黙ってお酒をちびちび飲んでいるイケメンの方が“モテ”ます。クラスを仕切る“学級員”より、人とあまり関わろうとしない運動部のエースの方がモテます。「面白い人」は彼氏としてはモテますが、結婚相手は「寡黙で安心感のある人」が選ばれます。

 なぜなのか?それは「言葉」の扱い方にあります。
 フランス人は「言葉を尽くして語る」「人を言葉で説得させる」ことに一定の価値をおき、”naif”な男性が、“モテキャラ”になることはありません(映画『LEON』のジャン・レノがやっていた殺し屋も、殺し屋というアウトサイダーの役だから寡黙さや不器用さが許されるのです)。
 政治家は、言葉が命なので、美しいフランス語で話すことが評価につながることもあるくらい。
 美しい言葉は、人の心を打ち、人を惹きつけることができる。恋愛でも、当然「愛の言葉」で女性を惹きつける男性像が理想的なるものとされているのはそのため。

日本におけるナイーブとは

 日本社会「父の背中を見て育つ」「沈黙は金なり」「男は黙ってなんたらかんたら」など、殊更に寡黙な男性を「ナイーブ」という言葉で肯定します。政治家も少し前まで、なんだか言葉少なく、デカい態度でふんぞり反っている方が、信用を得やすいのか、ボソボソしゃべる首相ばかり。

 だからこそ、大きな声でわかりやすくズバッと言えば、能力があるように勘違いしてもらえるため、わかりやすく耳触りのいいことを言う首相が一方で多い。小泉元首相、田中角栄などが代表例です。「痛みに耐えてよくがんばった。感動した!」申し訳ないが! 中学生の感想ですか?!! と問い質したいものであります!
というか、そのくらいしか言えないくらいの興味しか、実はなかったんでしょと突っ込みどころ満載の言葉なのに、流行語みたいになったのは、それだけ「わかりやすい言葉」を過大評価している証拠。

 当然恋愛においても、言葉を尽くしてアタックする男性像なぞがメジャーになったことなど、現代においてあったのか? と思うくらいに、モテキャラは、何も言わずに他人の話だけを聞いている人は、“ズルい”のです。
寡黙な人は、ある意味逃げているから。言葉をつくせるくらい物事を考えることから、ただ逃げている。

 言葉少ない方が、信用性が高いと考える人が多いと、その社会全体は言葉が持つ「質」を読み取る能力が総体的に低くなります。 そうなると、わかりやすい、耳触りのいい言葉で納得させられる傾向が高くなる。
カンタンな言葉にすぐ騙されるようになってしまう……。

 言葉数が多い人間はチャラくて信用できないと判断し、敬遠し、逆に言葉少ない人間を肯定した結果、ちょっと口の巧人間がチャラくないように見える言葉を並べられただけで騙されてしまうような結果になってしまい、結局だまされて、あらあらあら。
 「ちょっと口の巧い人」に騙されない社会にするためには、「言葉数が多いことを否定しない」ことを前提に、「言葉を十分に尽くして語る人」の中で、本当に信用できる人間が誰なのかを判断する能力を身に着けていく必要があります。  日本の政治がここまで堕落したのも、「言葉少ない寡黙な男」を持ち上げ続けてきたせいだと言うのは、言い過ぎ?(ええ、分かっております、言い過ぎですとも)

女性がもっと、多弁な男性を評価すれば、恋愛対象の男性も、政治家も今より知性的になると思うので、まずは合コンで黙っているイケメンに「黙っていて済むと思うなよ」と突っ込むところから始めてみてはどうでしょう?
合コンが日本を救うかもしれませんww

Text/Keiichi Koyama