• special
  • 2012.08.16

男がマッチョ- 島と恋と結婚観─失業率が高く、出生率が高く、離婚率も高く、所得が低い─(後編)

家族主義=女性の幸せ?

前編はこちらから
 では、こんなマッチョな男性のご都合主義がなぜ生まれてくるのかを考えてみました。 そこには、二つの島を共通する「強烈な家族主義」があります。
沖縄移住組の人への聞き取り中印象的だったのは、中に入ろうとするとわかる、排他精神。住んでも住んでも永遠に「外の人」となる怖さでした。それを裏付けるような友人の話があります。
友人が東京に来て買い物をしました。ベストがとても似合っていたので、「似合ってるから買っちゃいなよ」と言うと首を横に振る。なぜかと聞くと「こんなの着ている人誰もいないし、着てしまったら浮いてしまうから。だって沖縄で男が着る物って決まってるんすよ」だとか。
 別の沖縄出身の友人はこう言います。「ちょっと他の人と違うことをするとものすごく目立つ」。さらに、別の友人が続けます。「”外の人”と”中の人”でものすごく違う。京都と似ていると言う人もいるけれど、あちらは頑張れば入れてくれるけれど、沖縄は“生まれ”が大事なの。永遠に“中の人”にはなれないの」。

 ふらっと立ち寄った石垣島のバーのマスターも、東京からの移住組。もう15年にもなるというので、そんなに暮らしやすいのかと聞くと「割り切らないと大変。今も“字(あざ)対抗運動会”(※最小単位の地域名「大字●●」「小字●●」とさらに大小に分かれる)とかまである。できるところはできる、できないところはできないと言わないとご近所付き合いで疲れてしまう。うまく理解ができないと、沖縄に移住してきても結局帰ってしまう人が多い。県外から移住してきた人の8割が5年以内にいなくなる。引っ越し数すごく高いんだよ、ここは」。県外から来た人間が定住する行為は、コミュニティとのガマン比べのようなところがあるといいます。
 コルシカに移住した日本人の知り合いもこう言っていました。「コルシカってすごく住みやすいの。日本人にとっては。なぜなら“外国人”だから。根っからのコルシカ人は私をお客さんとして、優しく接してくれる。でも、所詮いつまでたってもお客さん。でもそれでいいの。本気でコルシカ人になりたかったら、それこそドロッドロの人間関係に足をつっこまないといけなくなる。どこの土地でもそれは一緒って言うだろうけど、パリとは違う。パリは3年いたらパリジャンね(それだけ高い税金を納められるという証拠でもあるから)、って言ってもらえるけど、ここはどんなに長く住んでも無理よ。結婚でもしない限り」。

 現地の人に受け入れられるのは「血縁に取り込まれる」以外に方法がないということでもあり、すこしぞっとした、なんというか横溝正史の「八ツ墓村」を思い出してしまった覚えがあります。「家族」をそういう形で利用するコミュニティは、果たして女性にとって幸せなのでしょうか?


家族としきたりと抑圧。

Happy Girls on the Beach of José IgnácioByjvc
©Happy Girls on the Beach of José IgnácioByjvc

 ユダヤ人であり、民族や人種研究の大家で「全体主義」の代表的研究者であるアンナ・アーレントがエッセイ“La Tradition cachee(隠された伝統、というような意味)”で、こんなことを書いています。
“人が、他人と関わって生きる人間である限り生きていけるのは、集団(民族や国といったものを含めた)の中だけである。衰弱死したくないのなら…”
人間が生きて行く上では、他者である人間たちの集団に身を投じ、自分のアイデンティティを犠牲にしなければいけない。だからこそ、集団は怖い。
他人に受け入れられるために、自分を捨てることに無意識になってしまうと、自分の意志を全て委ねて逆に自分自身が“集団”と一体化してしまい、自分の足で立つことができず集団全体に寄りかかり、甘え、流されてしまう。

 「コルシカ人は怠惰」。
 こんな偏見が有名です。偏見と一応言っておきますが、実際労働量が少ない。あの働かないフランス人が、「怠け者」と揶揄するくらいなので、日本人からみたらよっぽどです。

沖縄の所得が低いのは産業がないからだと言いますが、レジャー産業を持ち込んだのは移住組で、現地の観光産業に関わる人たちにインタビューしたところ、「移住組がもちこんだ新しい観光産業に、土地の人は関わろうとしない。外から来た人間のマネをしてたまるかという意地があるみたい」と聞かされました。実際、ツアーを3つくらい経験したのですが、アテンドする人たちに現地の人がひとりもいませんでした。
新しい仕事を生み出すでもなく、でも新しい産業に関わろうとはしない。こちらは怠惰ではなく、意地が問題なのかと思ってしまいます。
でも、それでもフツウ生きていけないから、頑張るのではないのだろうかと思ったその疑問を解消するのが、「家族」です。
集団の最小単位、「家族」。
頑張らなくても家族が助けてくれる。家族がいなければ親戚が助けてくれる。親戚がいなければ近所が助けてくれる。なんというユートピアでしょう。


家族としきたりと抑圧。(続き)                               

Giro della Corsica in kayak 1993 ByGeomangio
©Giro della Corsica in kayak 1993 ByGeomangio

 そのツケが、離婚率、失業率、進学率に現れてきます。それ以上に重いのが、外に出て自立しようとする子供たちへの負担です。子どもが「依存する集団」が大事である分、そこから出て行こうとする子どもにのしかかる、家族側からの経済的、精神的依存度と言ったらありません。
沖縄県内外に住む沖縄県出身者の若い男性20名ほどに話を聞いてきたのですが、家族との笑ってしまうほどのエピソードがてんこ盛り。

 「県内の学校に通って、就職。実家から離れるため県内の離島に引っ越しのだけれど、親から『おじいの家を継ぐ人間がいないから、いずれあそこに住め』と言われた。祖父の家なんて行ったこともないのに!」
「都内に住んでいるのに、今でも母親が『宅急便の送り方』を聞いてくる。なぜ配達員に聞かないのか不明」
「上京して初めて旧正月に実家に帰ったとき、うっかり電話に出たら都内にいる叔母だった。開口一番『あらぁ、○○くん実家戻ったの~よかった、安心』……って戻ったわけじゃないし! そんなに不安ならお前が戻れ!」
コルシカも家族のもとに戻る男性が多いです。エマニュエル・トッドがその家族主義の種類を“内婚制共同体家族”と定義づけて語るように、男性によりかかる家族存在そのものが見えます。「親の権威は形式的で、兄弟は平等であり、男は全員親元に戻り、大家族を構成し、権威よりも慣習が重視され、女性の地位が低く、子どもの教育に熱心ではない」。
土地を離れた男の子どもに対する親戚一同からの、強烈な依存。
その不満を解消するための、「怠惰」の許容とマチズモ、そしてある種のナショナリズムとでも言える、「土地への誇り」。

自由になりたい沖縄の男たち

 インタビューした「自由になりたい」と叫ぶ沖縄出身男性たちは、沖縄の生活にせよ、本土での生活にせよなんだか上手くいっていない原因が、家族だとうすうす気づいていながらも、小さいころから「家族が大事」と教え込まれた呪いなのか、そう思ってしまう自分に「罪悪感」を抱き、親離れが完全にできずに苦しんでいました。
「親は大事に」と思う気持ちはいいのですが、「依存する親」は危険すぎるし、それは年金問題と同じく上の世代が下の世代におんぶする世界。そして何よりも問題なのが、「いやだいやだと言っておきながら、実は親に依存している自分」から一生精神的に自立できないこと。
親から自立できない人間は、パートナーのことを幸せにできる個人にはなりえません。“幸せ”も家族に頼ることになるわけですから。新しく作るのではなく、古い家族にパートナーを巻き込むことだけしかできません。
 まあ、それで幸せに本当になれるのなら男性はそれでもいいですが、自分の不満や生きづらさを解消しないままだと、その憤懣は弱い人間に向く現実があることをお忘れなく。 最高裁判所が各地裁に保護命令が出た数を集計したものと、総務省統計の人口と比べて朝日新聞が出した数値によると、人口あたりのDV発生率ワースト1が沖縄県。
10万人あたり27.8件。2位が奈良の23.4、3位が鳥取23.0、全国平均が11.0件を考えると、ダントツです。
コルシカでもDVが2010から2011年の間で、8%増になったことを首長が発表しました。
男の生きづらさだけで片付けられない問題になってきました。
さてさて、この時代、バンバン結婚し、どんどん出産し、ドシドシ離婚する、のどかな島のゆるやかな家族主義をどうするのか、これからの課題かもしれません。

■合わせて読みたい

関連キーワード

この連載の過去の記事

special
2012.10.17

今月の特集

AMのこぼれ話