• special
  • 2016.03.10

器用になったから恋愛できない?「人は欠損に恋をする」/紫原 明子

20代を通して仕事ができるようになったからこそ、恋愛が上手くいかなくなることもある。「人は欠損に恋をする」、そんな言葉が器用さを身に着けてしまった30代に響く。それでは、30代だからこそできる理想の恋愛のかたちって?

器用になったから恋愛できない

メイン2
©小智的天空(JR Chang)

 気の良かった知人がふと家にやってきて、自分の信じている宗教がいかに最高かという話を数時間にわたって説いたとき、もういい、帰ってくれと大泣きしたのは20歳のときだった。

 妄信的で、目がギラギラしてて、こちらが何を言っても聞き入れないだろうという絶望はあったけれど、決して威圧的だったわけではなく、今となれば何も泣くことはなかった。ちょっと次の予定が~とか適当なことを言って、切り上げて逃げればよかったのだ。ところが当時の私には、そういう風にうまくやる知恵がなかった。

 例えば誰かに対面で嫌味を言われたとしても、33歳になった今なら、何も聞かなかったことにしてその場を適当にやり過ごし、5分もあれば気持ちを切り替えることができる。体を傷つけられたわけでもなし、誰かが瞬間的に発した一言なんてないと思えばないのだから、ははは、と笑って処理できる。

 あるいは、例えばミーティングの席で気まずい沈黙が流れたとき、今なら、毒にも薬にもならない一言を発して空気が止まるのを阻止することができる。20歳そこそこの頃の私なら、きっとキョロキョロ周りを見渡して、何で誰も喋らないの~、とお客さんのように誰かが口を開くのを待っていたのだ。

 30を過ぎて、とにかく器用になった。

 思えば20代の頃は、恥ずかしすぎて思い出したくもない失態をいくつも重ねてしまった。人前でボロボロ泣いたり、顔を真っ赤にして怒ったり、口を曲げて嫉妬したり。けれど年齢と経験を重ね、器用になるにつれ、そういう、マグマのように突如噴出する気持ちを、少しずつ上手に隠せるようになっていった。

 いくらそのとき気持ちよく発散しても、あとで泣きながら尻拭いするのもやっぱり自分だって、時間とともに分かってしまったから。

 次第に、寂しさや、怒りや、嫉妬といったドロドロとした感情を自分の中に隠し持っていることさえ苦しくなって、そもそも自分の中に初めからなかったのだと、心の奥にしまいこんでしまったようにも思う。

 結果、多少の波はあるけれど、毎日いたってフラットな気持ちで過ごせるようになったし、何より仕事がとてもスムーズにやれるようになった。……
一方で恋愛はというと、そんな仕事での経験値に反比例するかのように、器用になればなるほど、見事にままならなくなっていく不思議。

恋愛には仕事の勝ちパターンが効かない

 そもそも「依存」とか「メンヘラ」とか、恋愛の畑には、ともすれば自分自身が陥りかねない沼が用意されすぎている。実際、そのうちのいくつかには20代のころまんまとはまった記憶もある。
何度も同じ間違いを繰り返すほどバカじゃないし、もうあの頃のようにみっともない姿を晒せない。自然治癒力も落ちてるし、今度怪我でもしたらそろそろ再起できないかもしれない。だから沼にはまらないように、つい慎重になってしまう。

 好きな人を前にした自分の言動を、どこか客観的に眺めながら、今の暴投だったかな、とか、いつかと同じ轍を踏んでないかな、とか、いちいち不安に思う。そんなことやってるから、だんだん恋愛がおっくうなものに感じてくる。ましてや30年も生きていれば、わざわざそんな面倒な道を進まなくても、恋愛を迂回して進む道があることもとっくに知ってしまっている。

 昔はどうしてあんな風に、ただ恋人であるというだけの赤の他人に、躊躇なくわがままをぶつけることができたんだろう。相手が思い通りになると疑いもせず、全力で寄りかかることができたんだろう。
そんな風に遠い過去に思いを馳せると、何だか自分がおばさんを通り越して、早くもおばあちゃんになってしまったかのようで、ストーブで餅でも焼くかという気にもなってくる。

……餅はさておき、仕事で得た知恵と、積み重ねたトライアンドエラーの数が、恋愛で素直になる邪魔をする。30代には30代なりの、経験を重ねた者の、大人の距離のとり方がある。そんな風に思っていたけれど、仕事の勝ちパターンを恋愛に持ち込んだところで、いつまでたっても目の前の相手は「取引先」のままなのだ。

「人は欠損に恋をする」

 そんなことを考えていた矢先、すごい本に出会った。
『ダーリンは70歳』、漫画家の西原理恵子さんと、美容外科医で恋人の高須克弥さんとの日常が赤裸々に綴られているエッセイ漫画だ。この本の中で高須院長が、美容整形の施術を受けたいと語る西原さんに、こんな風に語っている。

「人は欠損に恋をするんです。黄金律でないもの、弱いもの、足りてないもの、人はそれを見た時本能で補ってあげようとするんです。そして、その弱さや未熟さを自分だけが理解していると思う。欠損の理解者になるんです」

 スマホでカメラを立ち上げたとき、期せずしてインカメラになっていて、ふいに映った、緩みきった自分の顔にギョッとすることがある。素の自分ってやばい。だからせめてもの努力で、化粧や小綺麗な服を着てごまかす。

 でもよく考えてみれば、これって外見に限った話じゃないのだ。今までどうして仕事を頑張ってきたのかと言えば、必ずしもお金のためだけじゃなく、そうすることで少なからず自分に付加価値がつくような気がしたから。本来の自分が何をどう頑張ってもどこか足りない「欠陥品」であることを、付加価値をつけることで、少しでもカバーできるような気がしたからだ。

 一方で、これまで私が好きになった人はみんな、私にとって間違いなく完璧だった。髪がボサボサでも、3日お風呂に入らなくても、精神的に弱くても、コミュ障でも、ずるいところがあっても、その人を構成する、良いも悪いも含む無数の要素が、奇跡的なバランスでその人を作り上げていた。その現象を「完璧」と感じた。
結局、人はそんな風に他者を見て、一言では言い表せない複雑な理由で、誰かのことを好きになるのだ。

好きな人の前で器用さを捨てる

 経験と共に身につけた器用さだって、立派に自分を構成する一要素ではあるけれど、本音を包み隠す頑丈な鎧となってしまった場合、鎧が邪魔をして他者はその人の人となりを判断できない。

 好き、という気持ちを抱く上で、相手に欠陥があることより、何も見えないことの方がよほど大きな問題だ。だから恋愛においては、年を重ねる中で一旦は器用にしまいこんだ感情を、もう一度そっと取り出さなきゃいけないのだろう。子供じみた嫉妬や寂しさ、爆発的な怒りや、飛び上がりたくなるような喜びを、全部掘り起こして、私はこれです、と堂々と開示しなきゃいけない。弱いところ、だらしないところ、自分のことを好きになってほしい人にほど、見せないといけない。

 それは、20代の不器用だったころ、散々痛い目を見て学んできた過程を少し巻き戻す行為。頭の先からつま先まで、隙のない存在でいることを勧めてくる世間一般のモテテクにも反する行為だ。だけど30にもなったからこそ、小手先で惹き付けて、ハレの日だけを共有する相手との恋愛なんて必要ない。
これまでの仕事や恋愛でできたお互いのスネの傷を包み隠さず見せ合って、お、いい傷してるね、って讃え合える相手でなければ、面倒な恋愛をする意味がないのだ。

 ここぞというときにこそ、器用さを捨てる。

 年を重ね、器用にやれるようになったからこそ、今度はそういうゲームの挑み方ができるはずなのだ。
 
 
  Text/紫原明子

楽園の罠

今月の特集

AMのこぼれ話

アンケート

AM調べ!全国の恋愛を大調査!!

皆さん、いま世の中の女性はどんな気持ちで恋愛しているのか、自分と同じ考えの人ってどれくらいいるのか考えたことありますか? そんな疑問に答えるため世の中の恋愛事情・セックス事情などがどうなっているか大調査を実施中。 素敵なプレゼントも差し上げているのでぜひアンケートに回答してください。

アンケートはこちら