• special
  • 2012.12.25

最終回:“クリスマス写経”で喝!(3)

吉牛もジョエル・ロブションもおいしければよし!

By Mike Monaghan
©By Mike Monaghan

 クリスマス・イブなのに彼が何も特別なことをしてくれなかった……と嘆いているそこのあなた!

 なにゼイタク言ってるんですか!
一緒に過ごしてくれた彼がいるだけで十分じゃないですか!

…とは、あえて言いません。

 私だって知っています。
彼氏がいない人にはいない人の悩みが、いる人にはいる人の苦しみがあって、どちらの不幸が切実かなんて、はかれないってこと。
フリーターが3日ぶりの食事で食べる吉野家の牛丼と、服部幸應が3日連続で食べるジョエル・ロブションのディナー、どっちがおいしいかなんて比べられないのと同じです。

 私はなにもこの連載で、「オマール海老のソースがいまいちだったわ…」と嘆き悲しんでいる人に、「牛丼(380円)をガマンして牛鍋丼(280円)にしている人のわびしさを知れ!」と言いたいのではありません。

 それよりも、今あなたにできる最高の贅沢が、吉野家の牛丼の生野菜サラダセット(しかもみそ汁を豚汁にランクアップして)なのだとしたら、あなたは六本木ヒルズの真ん中で


「吉牛、サイコー!」


と堂々と叫んでいいんだよ、と言いたいのです。

 まあ、六本木ヒルズの真ん中で叫ぶのは迷惑なので、人としてやめたほうがいいと思いますが、大切なのは「自分の身の丈に合った幸せに、きちんと幸せを感じることができるかどうか」ではないでしょうか。

 それができないのなら、あなたは世間が作り上げたクリスマスという魔物に、まんまと呪いをかけられているのです。
比べなくてもいいはずの他人の幸せを妬んだり、羨ましがったりしてしまった人は、今からでも遅くありません。一度“結界”の中に入り、煩悩と欲望を断ち切ってクリスマスにけじめをつけましょう。

 みなさんに最後にご提案する“修行プラン”は、そんな“結界”としてはまさにうってつけの場所。
それは、お寺です。
お寺で写経をするのです。

 書き間違いではありません。
何度だって書きましょう。
いいですか。お寺に行って。写経を。するのです。

煩悩を振り払い、心を無にする単純作業…それが写経      

By casek
©By casek

 写経とは、仏教の経典である般若心経や法華経などの経文を、墨と筆を使って書きうつすこと。
そうすることで、仏の教えを心に深く刻み込み、功徳(ご利益)を得ることができるとされています。

 近年では、パワースポットや「僧職系男子」の流行もあいまって、座禅や写経が女子のあいだでもちょっとしたブームになりました。
「都内 写経」で検索すれば、予約なし・無料で写経体験ができるお寺がたくさんあります。

「三連休を寂しい思いで過ごしたのに、そのうえ何が悲しくて今日、写経をしなきゃいけないんだ…」と思われるかもしれません。
しかし、クリスマス写経のメリットは、たくさんあります。

 まず第一に、クリスマスからもっとも遠い場所に身を置くことで、世間の浮かれたムードから自分を隔離することができるということ。
第二に、仏の教えにふれることで、煩悩と欲望にまみれた自分の心を見つめ直し、清らかな心でクリスマスと向き合えるようになるということ。

 そしてなにより、単純作業は心にヘルシーだ、ということです。

 あなたも身に覚えはありませんか?
千羽鶴を折ったり、ちらしの折込みをしたり、パン工場のバイトで「まるごとバナナ」のバナナを一晩中むき続けたり……。

 なんの創意工夫もいらない作業に没頭し、心を殺して自らを歯車の一部と化すことで、余計なことを考えずに済み、気が楽になったことはないでしょうか。
ひたすら同じ作業を繰り返すことで、一種のトランス状態に入っていくのだと言えるでしょう。

 きちんとした信仰心を持って写経に臨まないと、お寺に失礼ではないかと思う人もいるかもしれません。
しかし、写経は本来、それ自体が修行の一環。
「お経を書きうつす」という行為そのものが目的であり、そもそもが集中力を高めたり、煩悩を振り払うために行うものなのです。

 没頭するためであれば、「ひよこのオスとメスを見分ける」とか「トイレットペーパーを1ロールぜんぶ引き出して、また巻いて戻す」とか「おばあちゃんちの砂壁をほじり続ける」とかでもいいのですが、お金がかかったり、変な人だと思われてしまうのは、なかなかにリスキーです。

 それに比べれば、写経はもっとも手軽に我を忘れることができる作業のひとつ。
慣れない墨と筆を使うのでコツを覚える必要がありますし、なるべくうまい字を書こうという目標も生まれます。
まさに、プチ修行にはうってつけなのです。

マイ写経で、黒歴史を「ただの文字」になるまで供養しよう

 しかし、アフター5にお寺は閉まっているでしょうし、ひとたび家に帰って手元に経文がある人はそう多くありません。
だいたい、俗世のことを忘れるのにお経でなければ集中できないというのでは、真の修行にはならないでしょう。

 そこで私は、自分だけの「マイ写経」をすることを提案します。


 失恋したときに中毒のように繰り返し聞いたJ-POPの歌詞、元カレからもらった別れの手紙、中二病をこじらせていたときに書いた恥ずかしい日記、などなど……。
自分の心のササクレをひっぺがし、カサブタをかきむしるような「黒歴史」にランクインする「ダーク経文」を、あえて自分の手で写経するのです。

 きっと最初は、筆を持つ手がふるえ、呼吸は乱れ、字はミミズのようにねじれることでしょう。
ナムアミダではなくナミダをともなう写経、それが「マイ写経」です。

 しかし、「コンソメ」という字をずっと書いていると「ユンソナ」に見えてくるように(そういえばユンソナって今どうしてるんでしょうか)、「ラフ」という字をずっと書いていると「うつ」に見えてくるように、そこに書いてある文字がゲシュタルト崩壊を起こしはじめたら、しめたもの。

 あなたにとってつらい意味を持つその文章が、書きうつすうちに、意味のないただの「文字」として感じられるようになったとき。
そのときこそ、あなたはつらい過去から解き放たれ、煩悩を振り払うことができたということになります。

 まさに写経。まさに修行です。

 ここで、「最後に自分の好きなところと嫌いなところを10個ずつ挙げて、それを写経しましょう」とか言い出すと、途端にうさんくさい自己啓発っぽくなるので、くれぐれもそういうことはしないように。
ポジティブでもネガティブでもない、ニュートラルな境地に自分を持って行くことができれば、それでいいのです。

 いま、ここにいる自分の状況を肯定するでもなく、否定するでもなく、ただ受け入れることができたなら、あなたはもうイルミネーションきらめくクリスマスの街に単身乗り込んでも大丈夫。
ムダに死にたくなったり、人を妬んだり羨んだりする必要はなくなるはずです。
そして、今できるあなたの幸せを謳歌して、心からこう叫んでください。

「吉牛、サイコー!!!」と。

…あ、もちろんこれはたとえ話なので、本当に叫んだら変な人だと思わ……とにかく!

一人の人も、友達と遊んだ人も、恋人と過ごした人も、家族といた人も、
休みの人も、仕事の人も、生きてる人も、死んでる人も、人じゃなくても、
今日の残りの一日、あまねくすべてのみなさんに、どうかどうか、ハッピー・メリー・クリスマス!

Text/Fukusuke Fukuda



関連キーワード

ライタープロフィール

福田フクスケ
フリーライター。“くすぶり男子”の視点から恋愛やジェンダー、セックスなどを考察。

今月の特集

AMのこぼれ話