“ビッチ”な服装なら抵抗なくできるというのに、なぜ“清純派”を狙うことはできないのか『甘えないで』(前編)

大泉りか 官能小説 甘えないで Michael Benatar

清純派がモテると分かっていても、そこを目指したくない女たち

 「真剣に付き合うなら遊んでいない女がいい」とはよく聞く言葉。いくら時代は進化したと言っても男性はやっぱり“清純派”の女が好きなことには変わりはありません。

 しかしながら、“清純派”であることは、最も困難な女道のひとつ。年を過ぎれば経験が増えて世慣れた雰囲気になっていくと同時に、女はそもそもデコラティブ指向な生き物。『なりたい自分を目指して』せっせとネイルサロンに通い、靴ずれを作っても12センチヒールを常用する。そんな努力の末に“いい女”として振舞う自分が大好きなのです。

 しかし、そうしてやっとのことで、指が太いだとか、脚が短いだとかのコンプレックスを解消しているというのに、男性陣には受けるのは、素のままでも十分に美しい”清純派”の女性。

 「ずるい!!!」とやっかみをこじらせて、「実は人の彼氏に手を出すと有名」「元ヤンキーだった」などと確証ない噂話で“清純派女性”を貶めるくらいならば、自らもそこを目指せばいいだけの話……なのですが、多くの女はどうしてもそれができません。

 “ビッチ”な服装ですら抵抗なくできるというのに、なぜ“清純派”を狙うことはできないのか。それは女の目線が気になるからに尽きます。同性に“清純派を狙っているあざとい女”というレッテルを貼られることを何よりも恐れているのです
余談になりますが、一方で、ビッチファッションは、男に媚びているようで、実は女に媚びた服装です。女の大好きなコスプレ感がある上、“男の目を気にしない奔放な女”を演じれば、同性から敵扱いをされることもありません。