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  • 2016.11.01

男女の友情は成立するのか?――数%のセックス成分

男女の友情は成立するのか。AMのコラムでも何度も論じられたこのテーマに、女性向けポルノを研究する東大大学院生が出した答えは「成立する。セックスせずにいられるからではなく、セックスしても友情は成立するからだ」というもの。一体なぜ?その答えは「ホモソーシャル」を描いたBL(ボーイズラブ)作品にあるようです!

男女の友情問題に終止符を

服部恵典 東大 院生 ポルノグラフィ 研究
by Tina Franklin Follow

 つねづね思っていることがある。「男女の友情は成立するのか」問題についてだ。あれは何なのだ。成立するに決まっているではないか。

 飲み会の場やなにかで不意に誰かが「男女の友情って成立すると思う?」などと言いだす。

男「俺は成立すると思うよ!」
女「えー? でもさ、女の子と2人で温泉旅行とか行ったらどうせヤっちゃうでしょ?」
男「ブッサイクだったらヤらねえよ、『女』として見てないからね」
女「うわー! サイテー!」

 理屈っぽい「成立する派」の私は、君たちそういうことじゃないだろうと思いながらも、くどくどと説明して空気を悪くしないために、あいまいに笑う。いつまでこんなことを続けなければならないのだ。

 こんな茶番は今日で終わりにしよう。
今ここで私が「男女の友情は成立するのか」問題にピリオドを打ちたい。

 先に、私が至った結論だけ述べよう。

 A. 男女の友情は成立する。
セックスせずにいられる男女関係があるからではない。セックスしても友情は存在し続けるからである。
より正確には、「男女の友情は成立するのか」という問いのほとんどに、「仲の良い男女はセックスせずにいられるか」が前提になっていることがおかしいのであり、問いの存在基盤が間違っている。

 一体どういうことか? 次節からじっくりと説明させていただこう。

友情の性的な香り

 私の違和感の根本は、「男女の友情は成立するか」という問いが、いつの間にか「仲の良い男女はセックスせずにいられるか」という問いにすり替わることにある。
セックスと友情は、どちらかを取ればどちらかを失う関係なのか? セックスしても友達でいることは不可能なのか?

 ちょっと考えてみよう。
友情不在論者が言うように、もしも「友情」なるものが、「セックス」という脅威によっていつ崩壊するか分からない脆い存在だとすれば、バイセクシュアル(両性愛者)はどうなるか?
あらゆる人間との間に「友情」を築けないことになる。あーあ。

 それどころではない。
たとえば、男性と性行為をしたことのある男性、「男性間性交渉者(MSM: Men who have sex with men)」の場合。
つまり、ゲイやバイセクシャルではない男性が、なーんかムラッときて男とセックスしたとか、セックスが何なのかよく知らない小さい頃に男の子同士でセックスの真似事をした、というケースを考えてもいい。
MSMはたとえノンケであったとしても、男性とのたった1回のセックスで自らの内に「男とセックスできる俺」を発見し、性別問わず、すべての人間と自分との間にセックスの可能性の影を見て、友情の不可能性に絶望することになるだろう。

 それでも、友情が存在し得ないと言うなら、何とも身勝手な話ではないか。
この残酷な結論にビビって「いやいや、何も『すべての』男女ってのは言いすぎだよ」と批判するのならば、結局「ブサイクだったらヤらねえよ、『女』として見てないからね」と同じ論法である。
「友情が成り立たない人」を「異性」として定義しているのだから、結論を先取りした同語反復であって、「男女の友情は成立しない」のは当然である。それでは、私のような反対派の人間とは議論の成り立ちようがない。

「セックス対象となる性別とのコミュニケーションに本当に性の香りがないか胸に手を当てて考えよ」。
これが、男女の友情不在論が言っていることの内容だ。

 そこで私は、合気道のように、不在論者の攻撃を受け流してそのまま跳ね返す。もっとラディカルに考えよう。
「セックス対象にならないと信じこんでいる性別とのコミュニケーションに本当に性の香りがないか胸に手を当てて考えよ」。
つまり、男女の間に性が香っているとして、君たちが「男の友情」「女の友情」と呼んでいるそのホモソーシャルな関係からも性がぷんぷん匂って仕方がないぞ、というわけである。

 そう、このとき鍵になる概念は、第6回「女性向けAVの3Pと『欲望の三角形』」で論じた、「ホモソーシャル」だ。

BLが教えてくれる友情と性愛の関係

「ホモソーシャル」とは何か。
詳しくは第6回を読んでもらうとして、ここでは簡単に説明しよう。

 何かへの「欲望」とは自分の内側から湧き出てくるものではなく、他者のそれを模倣することでしか手に入れられない。つまり、欲望の対象―他者―自己からなる三角形が存在する。
加えて、有名な人類学者が言うには、すべての社会は「女」の交換によって男たちが強く結びつく構造を持っている。
「欲望の三角形」「女の交換」の2つの理論を足し合わせると、「女」を欲望・交換のためのモノとしてのみ見る「女性嫌悪」と、男同士で欲望を向け合わないという「同性愛嫌悪」によって、現代の男性は安定的な「男同士の絆(ホモソーシャル)」を手に入れているということになる。
エロ本を回し読みする男子高校生たちが強い絆で結ばれているのはそういうわけなのだ。

 ちなみに「女同士の絆」が現代社会に存在するのか、というのは様々な議論があってここでは結論を出せない。
しかし、社会的には存在しなくても、理論的に存在するのは当たり前だ。説明のうちの「男」と「女」を入れ替えればいいだけなのだから。

 ここで重要なのは、ホモソーシャルとホモセクシュアル(同性愛)は、別物であっても連続しているということである。
たとえばBL(ボーイズラブ)の二次創作は、男同士の熱い絆をホモセクシュアルとして自然と「誤読」し、豊かな可能性を探る営みである。
「こんなに仲が良いんだからセックスぐらいしてないと説明がつかないよ!」というわけだ。

 お分かりだろうか、BLが教えてくれるのは、友情とは純度が高くなればなるほど性愛と見た目が酷似する、不思議な存在だということだ。友情の喪失だけがセックスを導くのではない。
したがって、友愛と性愛は、直線の両端に存在してどちらかを取ればどちらかを失う関係にあるものではない。
友情度が低いと思われがちな「セフレ」のような友愛と性愛の両立もあれば、BLのように熱い絆の裏側に幻のごとくセックスが透けて見える両立もある。

 だから思うに、「どうせセックスしちゃうんだから、男女の間に友情はないよ」と言う人は、セックスが好きなだけではなく、実は友情が好きなのだ。
だからこそ、同性との友情が混じりっ気なく純粋であることを信じており、異性との友情にセックス成分がたった数%混入しているだけで「ピピーッ! はい、それセックス!!」と取り締まるのである。
だが、同性との友情が性的でないと信じているだなんて随分うぶだ。

 友情というものは、そんなに純粋なものではないと思うのだがどうだろう。
鬼の首を取ったように、「女の子の友達に下心がまったくないって言える?」と尋ねる者がいれば、「言えるわけがない。しかし、私の無意識下に男への下心がまったくないと言うこともできない」と私は答えよう。両性愛者でもMSMでもないが、である。

 ある液体が「オレンジジュース」であることの条件に果汁の濃度が関係ないのと同様、「友情」や「愛情」、「性愛」であることの条件にセックス成分の濃度は重要でない。しかもファンタオレンジは無果汁じゃないか。

 さあ、私と友情の絆を結ぼう。だいじょうぶ、やさしくするよ。

Text/服部恵典

次回は <VHSの普及は、本当にAVのおかげ?――ビデオとエロの結びつきとAV前史>です。
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ライタープロフィール

服部恵典
東京大学大学院修士課程1年。同大学卒業論文では、社会学的に女性向けアダルト動画について論じる。

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