• sex
  • 2016.09.06

交差する視線――AV女優と目が合う〈俺〉は何者なのか?

ポルノを研究するこの連載で、今までAM読者の皆さんといっしょに考えてきたのは、視聴者の視線。しかし、今回分析するのは、被写体になっているAV女優の視線です。AV女優がカメラを見て視聴者と「目が合う」パターンが5種類あり、しかもその中にはAVが独自に磨いてきた技法があるようです!

「女優と目が合う」という経験

服部恵典 東大 院生 ポルノグラフィ 研究 交差する視線
©chad rogers

 AV女優(男優)とは、不思議な職業だ。
風俗嬢、キャバクラ嬢、あるいはホスト、レンタル彼氏などは、目の前の客に対してサービスを提供する。
しかし、AV女優の場合、自分のサービスにお金を払ってくれるのはセックス相手のAV男優でもなければ、撮っているカメラマン、監督でもない。セックスの現場にいない視聴者が客なのだ。

 ゆえに、日本の男性向けAVは、あたかもAV女優とセックスしているかのように視聴者を錯覚させる技術を独自に磨いてきた。
その技術の1つが、初回をはじめとして何度も指摘してきた、「奥行き」の画面構成である。
つまり、男優の目とカメラの目(=視聴者の目)を一体化させることで、男女を手前-奥の関係に配置し、男性視聴者の視線が女優だけを貫くようにしているのである。

 だが今回論じたいのは、視聴者の視線ではない。被写体、つまり女優の視線だ。
男性向けAVでは、ことあるごとに女優がカメラ=「こちら」を向く。そして視聴者と視線が交差する。
この「女優と目が合う」という経験を、分析してみることにしよう。
なお、女性向けAVの被写体の視線については次回扱いたいと思う。

女優がカメラ目線になる5パターン

 女優がカメラ目線になるパターンを、5パターンに分けてみた。

服部恵典 東大 院生 ポルノグラフィ 研究 北野のぞみ
『ボクを好き過ぎるボクだけの北野のぞみ』

 まず最も分かりやすいのが、いわゆる「男性主観」、つまり男優とカメラの目が一体化しているパターンである。
要するに、視聴者たる〈俺〉はAVに映る女性の「彼氏」だったり「お兄ちゃん」だったり「奴隷」だったり「患者」だったり、何らかのシチュエーションにおかれた上で虚構の二者関係を楽しむ。
男性視聴者が女優を見つめるだけでなく女優が視聴者を見つめ返すときに、〈俺〉と〈きみ〉の虚構の二者関係がより強化されるのだ。

 この「男性主観」と微妙に異なるのが、「ハメ撮り」である。2つは重なる部分も多いが、今は別物として定義しておこう。
「男性主観」の場合は、男優のほかにカメラマンがいて、男優の顔の近くでカメラを構えていることが多いのだが、「ハメ撮り」の場合はハメながら撮る。つまり男優がカメラマンを兼ねており、正真正銘、男女二人きりで撮影する。

 大事な違いは、「男性主観」は女優が〈俺〉に向かって語りかけてくれるのに対し、「ハメ撮り」の場合は女優がセックスの相手=男優に向かって語りかけることだ。
同じカメラ目線ではあるが、“視聴者に向かって話す”のと、“男優に向かって話しているつもりなのに視聴者に向かって話しかけているように見える”のとは全く別である。
しかもより正確には、女性が本当に男優の目を見ているならばカメラから微妙に視線が逸れるのだ。

 さて、大事なのはここからだ。
上記2パターンは、女優は性行為の相手と目が合っていた。
だが男性向けAVの場合、視線の先、つまり「カメラ」が性行為の相手ではないパターンが3つある。

 1つは簡単だ。女優が監督、あるいはカメラマンを見ている場合である。
たとえば、インタビューシーンの途中から、背後に男優が現れておっぱいを揉み始める、というような。

 2つ目は、『目の前で痴漢されている女子高生とずっと目が合っていた』(2011、SODクリエイト)や「痴女る女と犯ラレル男とそれを傍観する俺ら」シリーズ(ワープエンターテイメント)などの作品の場合。
要するに、タイトルから分かる通り、〈俺〉はセックスには参加しないがセックスの現場に関わっている人物だ。
こういう場合、カメラの位置は性行為を行う男優の目の位置とは重なっていないが、結局は別の男性登場人物の目の位置と重なっているのであって、「男性主観」の亜種であるといってよい。
レアケースではあるが、理解するのは簡単である。

 ここまで話が長くなったが、重要なのは最後のパターンである。
今までの4パターンは、女優がカメラ目線になる理由が明確だった。“男がそこにいるから”、もしくは“カメラがそこにあるから”だ。

服部恵典 東大 院生 ポルノグラフィ 研究 有村千佳
『【迷ったらコレ!】再生して3分で即ヌケます。超エロい淫語連発セックス!! 有村千佳 4時間』

 しかし、男性向けAVの場合、女優が愛撫するのは男優なのに、女優が男優の方を向かずに、なぜそこにあるのかわからない「目」を見て「気持ちいい?」と聞いてくる、というようなシーンが少なくない。
これは、いったい何なのか?

主観と客観の両立

 肉体のコミュニケーションは男優と行い、視線や声のコミュニケーションは視聴者と行う、このねじれた画面構成。
これを理解するヒントとなるのは、映画理論家ジャン・ミトリがいった「半主観的映像」という概念ではないかと思う。
マンガ研究家の泉信行はこれを「身体離脱ショット」と呼び変えたが、このほうがイメージしやすいかもしれない。

 つまり視聴者は、幽体離脱したかのように、魂のように漂う登場人物の「主観的視線」によって登場人物の身体を「客観視」するのだ。
そしてジャン・ミトリの研究の興味深いポイントは、視聴者が映像の登場人物に同一化するためには、主観的映像だけでなくこの「身体離脱ショット」こそ必要だと述べた点にある。
視聴者は、自分が同一化する対象である身体をあらゆる角度から客観的に眺め回し、身体を把握する。

 スポーツ選手が自分のフォームをビデオに撮って確かめるように、客観視することで、逆説的に身体感覚はより正確に同期するのである。
もう少し卑近で下品な例を挙げてよいなら、背中やアナルを舐められる快感は「主観」では見ることが不可能なのだ。

 ただし、男性向けAVの場合は映画とちがって、幽体離脱した「魂」と女優の目が合う。これが最も重要な点だ。
ふつう、幽体離脱したかのように客観的に身体を見つめる目線と、男優の立場から女優と見つめ合う主観的な目線とは両立しないはずなのである。

 しかし、鼻や口は横から描き目は正面から描くというようにさまざまな角度からの印象を1枚の絵に収めるキュビズム(立体主義)がごとく、男性向けAVにおいては、両立しないはずの客観・主観の2つの目線が1つの画面に同時に収まる。

服部恵典 東大 院生 ポルノグラフィ 研究 ピカソ キュビズム 泣く女
キュビズムの技法が使われた、パブロ・ピカソ『泣く女』

  このことによって、一石二鳥で「主観的映像」と「身体離脱ショット」のメリットを手に入れているのである。
非現実的な視線のやりとりが、あたかも現実に女優とセックスしているかのような感覚を強化するという逆説がここにある。

 これはおそらく、映画や漫画にはない、AVだけに存在する注目すべき技法である。
しかし、AVのこの技法に関して言及している文章を私は見たことがない。
AVは文化として低く見られることが多く、またその印象が大間違いだとまでは言わないけれども、独自の技法を洗練させたところに存在しているものなのだということが見落とされがちなのは残念だ。

  *  *  *

「非現実的な視線のやりとりが、あたかも現実に女優とセックスしているかのような感覚を強化するという逆説がここにある」と上に書いた。
この技術は、非現実性に大きく傾くと嘘くさくなる、とても危ういバランスのうえに成り立っているのだ。

 したがって、この被写体の視線というテーマは、《女性向けAVと「欲望の三角形」》の回に「またいつか掘り下げられたらと思う」と書いた、嘘くささのジェンダー差の話と実は結びついているのだが……詳しくは次回に。
 
Text/服部恵典

次回は<『シン・ゴジラ』とAVのリアリティ――男優のカメラ目線に萎える女性たち>です。
男性向けAVの技術、女性向けAVの被写体の視線、「リアリティの楽しみ方」……これらと「シン・ゴジラ」は一見すると関係性が全く無いように見えますが、実は大きな関係があるようです。今回は視聴者の目線、製作者の目線から紐解き、AVの楽しみ方をAM読者の皆さんにご紹介します!

ライタープロフィール

服部恵典
東京大学大学院修士課程1年。同大学卒業論文では、社会学的に女性向けアダルト動画について論じる。

今月の特集

AMのこぼれ話