「男はみな不感症」である?――射精オーガズムの神話

「賢者タイム」と「男の不感症」

服部恵典 東大 院生 ポルノグラフィ 研究 Ed Ivanushkin

 研究する。観る。ついでに抜く。ふうとため息。「東大まで入ってAVの研究って何だよ」と自己嫌悪に陥る。これがだいたい1セット。

 楽しい研究生活を送る私を一瞬ほの暗い気持ちにさせているのは、いわゆる「賢者タイム」というやつだ。
こんな「うっ、ピュッ」のためだけに何をくだらない時間をすごしているのだ、と急に憂鬱になってしまう。

 エロ漫画で描かれるようにショットグラス1杯分ぐらい射精できればさぞ爽快だろうが、基本的にはいくら溜めようと「ピュッ」なのだからしょうもない。
それでも、AVの女性たちのように大声であえぎ、ときには白目を剥き、場合によっては失神するぐらいの快感が身を襲うのであれば憂鬱感・倦怠感とバランスがとれるかもしれないが、所詮は「うっ」というぐらいの気持ちよさしかない。
それなのに、明くる日も明くる日もオナニーを続けてしまう男たち。情けない気持ちになってくる。

 おそらく誰しも「女性のオーガズムは男性の7倍気持ちいい」というような噂を聞いたことがあるだろう。
逆に言えば、男性の射精の気持ちよさは、女性の7分の1しかないのだ。絶望だ。
誰がどうやって測るんだよと思うが、10倍、100倍という噂もある。
ただ数字の正確性はともかく、射精がそんなに気持ちよくないというのは、間違いないだろう。

 哲学者の森岡正博は、こうした事実から「男は不感症だ」と言った。
別に森岡自身が遅漏だとか射精障害なのではない。森岡いわく、男なるものは全員不感症なのである。

 性交中や射精時には、たしかに気持ちよさはあるのだが、それはけっして[注:女性が経験するように]「頭が真っ白になる」ようなものでもないし、「心の底からよろこびがあふれる」ようなものでもない。射精をするたびに、自分が感じているものが、ペニスの中を精液がズルズルと通り過ぎて痙攣する局部的な快感でしかなく、「心が満たされるような充足感」などどこにも存在しないことを、強制的に再確認させられ続ける。(『生命学に何ができるか』278-9ページ)

 ポルノや、極めて遺憾なことにレイプに夢中になってしまう男たち。しかし、射精そのものにたいした気持ちよさはない。
森岡によるこのズレの指摘は、とても興味深いものである(女性に夢を持ちすぎなのではないかという話は別として)。

 私も「射精はたいして気持ちよくない」という事実には納得する。
しかし、「でも……」と思う部分はないだろうか?
「男は本当に不感症なのか」。次の節からより詳しく考えてみよう。