完璧な人よりどこか欠けた人が好きだ

 遠い昔の話、理想に描いていた人と出会った。
少し年上の落ち着いたお兄さんみたいな人で、ルックスも良くて、身長も高くて、頭も良くて、大手企業でバリバリ仕事していた。
まだ大学を卒業したばかりの自分からすればとても眩しく見えた。
フラれるのを覚悟してデートに誘ってみると驚いたことにオッケーをもらえた。
憧れの人とこうやってロマンチックな時間を過ごせるなんて思ってもみなくて、その日がやってくるまでなかなか眠れなかった。

 待ち合わせ場所に現れた彼を見て心がとろけた。
仕事帰りでスーツを着ていた彼はいつもより大人でとてもセクシーだった。
これは最高のデートになると確信した。
しかし、彼との時間はビックリするくらいしっくりこなかった。
別に彼に欠点があったわけではない。
話をすればするほど、自分の理想の中の完璧な彼氏像と目の前の彼が重なった。
それが逆に違和感となってデートに集中できなかった。

 今の時代、私たちは完璧を求める社会に生きている。
ソーシャルメディアが発達してネット上で完璧な自分のイメージを演出するのが当たり前となった。
フォトショップのおかげで写真は修正できて、ポップソングの歌声もオートチューンで編集される。
野菜や果物は見た目優先のために農薬まみれだ。
どんなに欠点があろうと、完璧にパッケージされた表面を見ただけではわからない。
そんな完璧に見えるものばかりに囲まれていれば、自然と周りに完璧を期待してしまう。