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  • 2013.03.27

『最高の離婚』がたどり着いた“恋愛ドラマ”の境地とは?(前編)

二組の夫婦を通して描く
“人はいかにわかり合えないか”

最高の離婚 福田フクスケ 画像 恋愛ドラマ勝手に深読み入門
©Celine-Ludovicckyqi

 みんな、どう? 最近、別れた人と同居してる?

 往年の恋愛ドラマをあえて見直し、勝手に深読みしていくこの連載。
実に、前回から4ケ月ぶりの更新となってしまいました。

 4ケ月も放っといたら、ハムスターだったら死んでますからね!
連載がハムスターじゃなくて、本当によかったです。

 こんなムラのある連載ペースが許されるのは、日本で『HUNTER×HUNTER』だけということを肝に命じ、深く反省したいと思います。

 そんなトガシィな(冨樫義博のような、という意味の形容詞。いま作った)私のハートを、再び更新へと駆り立てたのは、3月21日に最終回を迎えたばかりの『最高の離婚』が、最高におもしろいドラマだったからです。
“豊作”といわれる今期のテレビドラマのなかにあって、クオリティという点でも、世間からの注目度という点でも、ともに傑出している作品でした。

 そしてこの作品は、恋愛ドラマがすっかり効力を失っていた現在のドラマシーンにおいて、久しぶりにその復権に成功していたと思います。

 物語の舞台は中目黒の住宅街。
神経質で細かい性格の濱崎光生(瑛太)と、大らかでがさつな妻・結夏(尾野真千子)。
日頃から細かいことで言い争いの耐えないふたりが、性格の不一致が積み重なりついに離婚を決意するところから、このドラマは始まります。

 しかし、離婚届を出した後も、ふたりは諸事情により同居生活を続ける羽目に。
そのため、お互いに我慢していた不満やすれ違いの正体が、徐々に暴かれていきます。

 一方、同じ街に住む光生の元カノ・灯里(真木よう子)は、夫の上原諒(綾野剛)が外で浮気を繰り返していることにうすうす気付いていながら、黙って理解のあるフリをしていました。
ところが、なんと彼が灯里との婚姻届を出していなかったことが発覚。
彼女はこれまで我慢していた嫉妬やみじめな気持ちを爆発させ、決定的な破局を迎えます。

 離婚した夫婦と、結婚していなかった夫婦。
このドラマは、どちらもわかり合えずに“夫婦になれなかった”二組の男女が、“なぜ/どうわかり合えなかったのか”についてを、丹念に描いた物語なのです。

どんな恋人もどんな夫婦も “別の道を歩いて育った他人”

 このドラマには、あっと驚く劇的な事件や展開はほとんど起きません。
しかし、一見小ネタ満載のムダ話ばかりとも思える軽妙なやりとりの中に、男女の本音や心の機微が丁寧に、巧みに描かれており、私たちの心をザワザワとなびかせます。

 その豊かなセリフの数々は、TwitterやNAVERまとめなどのネット上でも、たちまち話題となりました。

 たとえば第3話には、学生時代に光生と付き合っていた灯里が、彼との別れを決意した決定的な理由を吐露する場面があります。

 それは、灯里が密かに生きる支えにしていたJUDY AND MARYの『クラシック』という曲を、光生が「なにこのくだらない歌。安っぽい花柄の便座カバーみたいな音楽だ」と言い放ったことがきっかけでした。
そのうえ彼は、漁師だった灯里の父がサメに襲われて亡くなったことを知らずに、映画『JAWS』を観ながら「サメに食われて死ぬのだけは嫌だよなあ」と笑って言ってしまったのです。

 たしかに光生の言動は最低だったかもしれません。
でも、何がその人を決定的に傷つけるか、何がその人のコアな部分になるかなんて、教えてもらわない限りわかりません。
それを想像力で補えというのは酷だと思います。
そして、そのことは灯里自身も、頭ではわかっているようなのです。

灯里「別に、誰かが悪いとかじゃないの。
ただ、誰かにとって生きる力みたいになってるものが、誰かにとっては便座カバーみたいなものかもしれない」
結夏「みんな他人だから?」
灯里「はい。別の場所で生まれて、別の道を歩いて育った他人だから」


 光生は、たまたま灯里の事情を知らなかっただけです。
たまたま運とタイミングが悪かったです。
でも、灯里の気持ちは離れてしまった。取り返しはつかなかった。それが恋愛なのです。
 このドラマは、“恋人や夫婦とは、もともとわかり合うことのできない他人なのだ”という現実を私たちに突き付けてきます。

幸せになるために
好きになるわけじゃない

 もうひとつこのドラマがおもしろいのは、離婚という“終わり”から始まっていること。
これまでの恋愛ドラマが“恋愛/結婚の成就”というハッピーエンドでうやむやにしてきた“その先”を描いてくれているのです。

 光生と別れた結夏は、年下の青年・初島淳之介(窪田正孝)と意気投合します。
あらゆる点で気の合うふたりは、はたからみてもお似合いの新カップルに見えました。
ところが、第7話で初島から結婚を申し込まれると、結夏はその申し出を断ってしまいます。

「ごめん、無理。あんたじゃない。いいヤツだと思うよ。思うけど。幸せになるために好きになるわけじゃないから」

 そして彼女は、光生に宛てた手紙の中で、こうも書くのです。

「好きな人とは生活上、気が合わない。気が合う人は、好きになれない。
(中略)愛情と生活はいつもぶつかって、なんというか、それは私が生きるうえで抱える、とても厄介な病なのです」

「幸せになるために好きになるわけじゃない」=“好きになった人と幸せになれるとは限らない”というのは、
恋愛の本質に関わるジレンマであり、恋愛と結婚、恋人と夫婦の違いを端的に象徴するセリフです。

 好きな人と、気が合うとは限らない。わかり合えるとは限らない。幸せになれるとは限らない。

 では、私たちはいったいどうすればいいのでしょうか?

 この永遠の問いに対して、このドラマが出したとりあえずの答え。
それは、『それでも、“家族”は作れる!』というまさかの結論でした。

男と女と、夫婦は違う。
夫婦と、家族も違う!

 最終回には、富士宮にある結夏の実家で、離婚の報告をするため両家の両親が顔を合わせるシーンがあります。

 そこで初めて登場した光生の父親は、神経質で偏屈なところが光生にそっくり。
母親は、なんと結夏のがさつな性格そのままの人でした。

 まるで光生と結夏を見ているような、とても気が合うとは思えない光生の両親の姿。
結夏の実家では、親族たちが大勢入り乱れて、地方特有の大宴会が繰り広げられます。

 そこで目の当たりにしたのは、一対一の恋人や夫婦といったちっぽけな関係ではなく、その先に広がる、もっと寛容で、もっと懐の深い、ゆるやかに結ばれた“家族”という大きな繋がりだったのです。

 光生は、結夏の父親からこう言われます。
「男と女と、夫婦は違う。夫婦と、家族も違う。役所に紙を出せば、夫婦だ。家族は、金を出してもできない」

 そうして、光生と結夏が下した結論。
それは、「私たちはだめな夫婦かもしれない。でも、もう一度、今度は家族になってみよう」という思いがけないハッピーエンドでした。
そのハッピーエンドは、ありがちでしらじらしい、予定調和なものではなく、恋愛ドラマの新しい結論を見せてくれたように、私には思えます。


「一番最初に思い出す人だよ。一番最初に思い出す人たちが集まってるのが家族だよ」
これは、第4話の結夏のセリフですが、はからずもこの言葉が、ドラマの終着点とリンクしていました。

 たとえ恋愛は終わっても、夫婦は終わっても、一番最初に思い出す人と一緒なら、私たちは“家族”という幸せの形を目指していいのだ。
これが、恋愛がきらめきを失った2013年現在、“恋愛ドラマ”がたどり着いたひとつの境地なのです。


 だから、諒の子を身ごもり、「私、愛情ないですよ。今は彼のこと愛してないです」と言い放って諒と結婚した灯里も、決して打算と諦めを覚えた不幸せな女性ではないと、私は思います。

「愛情はないけど、結婚するんです。信じてないけど、結婚するんです」

 そんな諦念の先にすら、幸せな家族を作る可能性は開けているのだ、という希望を、このドラマは語っているのではないでしょうか。

Text/福田フクスケ

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ライタープロフィール

福田フクスケ
フリーライター。“くすぶり男子”の視点から恋愛やジェンダー、セックスなどを考察。

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