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  • 2012.09.09

恋愛ドラマ勝手に深読み入門 第13回:『恋ノチカラ』は本当に“等身大のドラマ”だったのか

「好きな恋愛ドラマ」で今も根強い人気

By egor.gribanov
©By egor.gribanov

 みんな、どう? 最近、等身大で生きてる?

 こんにちは、人生のスケール感を測りそこねている福田です。
今週も往年の恋愛ドラマをあえて見直し、勝手に深読みしていきましょう。

 今回のテーマは、「深津絵里が仕事にも恋にも行き詰まった30歳の等身大OLを演じて、多くの女性の共感を得た『恋ノチカラ』(2002年放送、フジテレビ)です。

 このドラマ、『ロングバケーション』や『東京ラブストーリー』のような王道感こそないものの、「好きな恋愛ドラマ」のアンケートなどでは今も必ず上位に入るほど、女性を中心に根強い支持を受けている作品です。

 大手広告会社に勤める30歳の本宮籐子(深津絵里)は、クリエイター志望だったのに庶務課へ異動になり、仕事にやる気を見出せない毎日。 焦りを感じながら仕事にも恋にも夢を描けず、夜な夜なお酒に救いを求める人生の休憩モードに入っていました。

 そこへ、社内でもやり手で知られる憧れのクリエイター・貫井功太郎(堤真一)から、「会社を辞めて独立するから、君にも加わってほしい」とまさかのヘッドハンティングが!
結局、引き抜きは人違いだったことがわかりますが、社内での存在意義を見失っていた籐子は、給料の安定した今の立場をなげうって退職。
新会社の立ち上げに参加することで、徐々に仕事や恋への活気を取り戻していくことになるわけです。

“先が見えてしまう”30代の諦念と閉塞感

 「この世に生まれて30年と6ヶ月19日。もう恋することなんて、ないだろうと思っていた」 籐子のこのセリフが象徴する通り、このドラマには「30歳」という年齢に対する焦りと諦めが執拗に描かれています。

 2002年の放送当時は、「30歳で恋愛をあきらめるのは、ちょっと早すぎない?」と思っていました。 でも、自分が30歳に近付いたいま見返してみると、籐子が感じている閉塞感って「恋をあきらめる」とはまた違う感覚であることに気が付かされます。
「まだまだこれから」という未来や希望に満ちていた20代とは違い、自分には決してできないことや、頑張ってもうまくいかないことがあるのを悟るのが30代。
仕事でも恋愛でも、「まあ、こんなもんかな」という妥協点や限界点が見えてしまうのが、一番つらいし、しんどいんですよね。

「後先考えずに、相手のこと考えずに、ただ好きだって、素直に言える歳じゃなくなっちゃったよ、私」

 このセリフにあるように、籐子もまた「恋をあきらめている」のではなく、ときめきや衝動よりも前に「先が見えてしまう」気がしているから、恋に踏み出す気が起きないわけです。
このあたりのリアルで適切な描写こそ、女性視聴者が「等身大の自分」を重ねあわせ、共感を得た要因ではないでしょうか。

“等身大”という言葉にだまされるな!           

By FashionbyHe
©By FashionbyHe

 ところで、ドラマや映画を評するときによく使われる、この「等身大」という言葉。 考えてみると、よくわからない言葉だと思いませんか?

 この頃の深津絵里は、よく「等身大のOL」を演じて女性視聴者の共感を得たことになっていますが、あんな美人がフツーのOLやってる時点で、等身大ではなく十分「デカい」ですよね?

 深津絵里…まあここは親しみを込めて、あえて「ふかっちゃん」と呼ばせてもらいますが、ふかっちゃんを見て「これって等身大のアタシだわあ」と思っている女性がいたら、その人はきっと自分のサイズ感を間違えてます。
採寸し直したほうがいいですね。

 その等身大は、「華やかな芸能界」に生きる女優が、冴えないOLを演じて「アタシたちの世界」に降りてきてくれている、という「百歩譲った等身大」であることを忘れてはいけません。
ふかっちゃんは、やっぱり「深津さん」であり、「深津さま」なんですよ!

 もっと言ってしまえば、ドラマや映画に描かれている「等身大」って、つまりは「冴えないOL」だったり、「しがないサラリーマン」「うじうじ悩んでる若者」といった状態に踏みとどまっている人たちの「現状を肯定してくれている」っていうだけなんですよね。

 それって、現状に甘んじて、いつも楽な方を選んできた『恋ノチカラ』の籐子と同じではないでしょうか。

等身大の現状を抜け出せば、見えない“その先”だってある!

 では、そんな籐子がどうやって「等身大」な現状にいる閉塞感から抜け出したのか。

 それは、安定した大企業の職場を辞め、貫井の無謀な独立に付いて行くことで、自分の良さを見つめ直すことができたからです。

 第8話で、籐子はミラノに海外赴任している元カレ・倉持勇祐(谷原章介)と再会し、プロポーズされます。
それまでの籐子であれば、「誰かに必要とされている」という喜びだけで、彼の申し出を受け入れたかもしれません。
しかし、彼女は結局、そのプロポーズを蹴るのです。

「私は貫井企画を選びました。それはたぶん、ここにしかない、何かがあるって思ったからで、それが何なのかまだよくわからないけど、でも、貫井さんについていけば、きっと見つかるんじゃないかって、そんな気がしてるんです」

 誰かに必要とされているからではなく、自分がいたいからいる場所で、自分がいたいから一緒にいる仲間と、自分がやりたいからやることをやる。
そう決断したことで、彼女はアイデンティティを獲得し、貫井への恋心も自覚して、また恋をする力を取り戻すのです。

「先が見えているから」という諦めの、その「先」とは、あくまで現状から見えているものにすぎません。
「等身大」だと思っていた自分を踏み越えたときに、まだ見たことのない新しい「先」が見えてくる。そして、それは30代になってからだっていいのです。

『恋ノチカラ』が、今も女性から根強い人気と支持を受けている理由。
それは、「等身大」という閉塞感にとらわれた女性の「再生」を描いているからではないでしょうか。
そのエッセンスは、今こそ見直されていいものかもしれません。

Text/Fukusuke Fukuda

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ライタープロフィール

福田フクスケ
フリーライター。“くすぶり男子”の視点から恋愛やジェンダー、セックスなどを考察。

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