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  • 2012.08.26

芸術家の恋愛模様を名画とともに楽しんで! 恋愛美術図録 サルバドール・ダリ編

奇行の天才画家・サルバドール・ダリの略奪愛

サルバドール・ダリは、スペインの画家。シュルレアリスムの代表的な作家として知られる。「天才」と自称して憚らず、数々の奇行や逸話が知られている。

芸術仲間の妻に一目惚れし、駆け下ち

Nurture By rickyqi
©Salvador Dalì by .allienato

 ダリは21歳のころには初めの個展を開き、24歳のころにはシュルレアリスム映画「アンダルシアの犬」を映画監督・ブニュエルと共作したりと、多方面で才能を発揮していきます。
そうした中でダリはあらゆる芸術家たちとの交流を深めていきました。
そんな芸術家の一人、詩人ポール・エリュアールが家族とともにダリを訪ねてきたのは1929年。ダリが25歳のときでした。
エリュアールの妻ガラはダリより10歳年上でしたが、芸術について二人の会話は弾んだといいます。ガラに魅かれたダリが、「自分にできることはないか」と尋ねると、ガラは「私を殺して」と答えたといわれています。ダリはトレドの大聖堂からガラを突き落とすことをイメージし、この秘められた欲望が2人を強く結びつけることになりました。

 ガラの夫エリュアール自身、奔放な性格で愛人もいましたから、ダリと妻の関係もそのようなものと考えていました。しかし、二人は真剣でした。その後、ダリのパリでの個展の直前にダリと駆け落ちをします。

ダリの保護者であり、マネージャーであり、妻となったガラ

 ダリの独特の感性は彼の言動をエキセントリックなものにしていましたが、本当はとてもシャイで、控えめでおとなしい性格でした。ガラはダリの才能を評価するだけではなく、彼のそうした繊細な本性も見抜き、受け入れてくれました。ダリはやっと自分を理解してくれる 相手と出会ったのでした。

 1932年、ガラは離婚、2年後ダリと再婚しました。
ダリと出会ってから、まだ無名だった彼の作品を持ってガラは精力的に画商回りをしたといいます。
繊細で内向的なダリではできないことをガラはマネージャーとして一手に引き受けるようになっていったのです。
その一方で夫の作品を素直に認め、褒め称え、彼のやる気と芸術的なインスピレーションを引き出してもいきました。
そんなガラの献身をダリも理解していました。彼はやがて作品のサインにガラの名前を併記するようになります。彼は自分の作品をガラとの共同作業だと考えていたのでした。

 ダリにとってガラはミューズ、まさに芸術の女神だったのです。
芸術の女神の力を得た天才画家はその鬼才ぶりをいかんなく発揮するようになります。
シュルレアリスムの代表的な画家となって彼の作品は多くの人の支持を集めていきました。

ガラの死とともに終えた芸術家としてのダリ

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©Salvador Dali - The Persistence of Memory by ahisgett

 そんな二人の共同作業が終わりを迎えたのは1982年。
ガラが亡くなったのです。88歳でした。
ダリは「人生の舵取りを失った」と言い、翌年に最後の作品「燕の尾」を仕上げた後そのまま筆を折りました。翌年の「燕の尾」が生涯最後の作品になりました。1989年1月に亡くなったダリは自分の出生地であるフィゲーラスの自分自身で計画したダリ劇場美術館内に埋葬されています。
ダリの才能はまさにガラとともにあり、ガラとともに終焉を迎えたのでした。

Text/AM編集部

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