芸術家の恋愛模様を名画とともに楽しんで! 恋愛美術図録 マリー・ローランサン編

結婚、離婚…そして晩年は同性を愛した先駆的女性芸術家の恋

マリー・ローランサンは、20世紀前半に活動した女性画家・彫刻家です。

捨てられた女よりもっと哀れなのは/よるべない女です/よるべない女よりももっと哀 れなのは/追われた女です/追われた女よりももっと哀れなのは死んだ女です/死んだ女 よりもっと哀れなのは/忘れられた女です」 (『鎮静剤』の一部 堀口大學訳)
こう綴った彼女はフランスの美しい時代に活躍しました。

若手詩人と恋に落ち、愛を芸術で昇華させる日々

Nurture By rickyqi Marie Laurencin austinevan

 ローランサンの母・ポーリーヌは年上の妻子ある代議士と付き合って、未婚のまま娘ローランサンを産みました。ローランサンは読書や絵を描くのが好きで、いつしか画家になるのを夢見るように。

 パリのモンマルトルにある「洗濯船」という名の芸術家たちの住まいであり、共同アトリエに絵をもちこんだのが、画家としての第一歩でした。ここにはピカソやブラック、ヴァン・ドンゲンなど貧しいが才能に溢れた天才たちが住んでおり、多くの芸術家たちも集まってきていました。その一人が詩人のアポリネールだったのです。
 ピカソにマリー・ローランサンを紹介されたアポリネール。ほっそりとして澄んだ水晶のような肌に、透き通った瞳をもつ、彼女はまさにアポリネールの理想そのものでした。

 ローランサンは22歳、新鋭の画家と前衛派の詩人とが激しい恋に落ちるのに時間はかかりませんでした。1908年にローランサン母子がシャペル大通りからラ・フォンテーヌ街三十二番地 に引っ越すと、アポリネールもすぐ近くに移り住んだ。アポリネールは毎日のように恋人に詩を贈り、ローランサンは彼をモデルに絵を描きました。

 ローランサンはその才能と美貌で男たちを夢中にさせていたと言われています。アポリネールはそんな彼女を他の画家や詩人、画商に次々と紹介して画壇のプリンセスにまで押し上げていきました。

『モナ・リザ』盗難事件が引き金となった詩人との別れ

 ローランサンは芸術家たちに霊感を与える女神として祝福され、才能豊かな二人の恋は永遠に続くかに思われたが、激しい個性と 鋭い感性のぶつかり合いは亀裂を生みました。
 そんな折り、二人の別離を決定づける出来事が起きます。
 1911年、アポリネールがルーヴル美術館で起きた『モナ・リザ』盗難事件の共犯容疑で逮捕されてしまうのです。疑いは晴れましたたが、この事件でアポリネールとロ-ランサンの二人の関係はぎくしゃくしたものになり、ついに5年間の燃えるような愛は終焉を迎えます。

ミラボー橋の下をセーヌが流れ/われらの恋が流れる──
アポリネールはローランサンと別れた後、彼女への愛をこう綴りました。その詩『ミラボー橋』は後に、第二次世界大戦後復興期のパリ市民の愛唱歌となりました。

 その後アポリネ-ルは38歳でこの世を去るが、その日までローランサンが描いた『アポリネールとその友人たち』とともに暮らしました